祭神 建御名方神
274-0822 船橋市飯山満町3-1465
さてさて皆様、一応ここで申し上げておきますが、
こちらは神社仏閣・史跡がメインの歴史ブログでございます。(大汗)
先週の日曜日は田喜野井・薬円台歴史サイクリングを楽しみました。
そこですっかり気になっておりますのは、
枯死した名木「揺らぎの松」で木食僧・観信が、
「木っぱ地蔵」と一緒に彫ったという「ゆらぎ地蔵」、
そして薬円台の倶梨伽羅不動尊の本寺であるという、
補陀洛山光明寺などなど盛り沢山。
やはりもう少し先の、飯山満に足を伸ばしましょう。
今回は次男も一緒です。
さて飯山満(はさま)町という地名ですが、
以前、栴檀さんとコメント欄で話しましたが、
「いいやまみつる」さんが開拓した訳でもなく、
またけして「はさ まんちょう」と読んではいけません。(笑)
山間でありながら、水源が豊富で、稲が良く育ったことから、
「ご飯が満る山」という意味で付けられた地名だとか。
さて、今日のトップバッターは、
「王子神社」です。
王子神社といえば、
東京都北区の王子の地名の由来ともなった、
この王子神社が有名ですが、
同じ社名に祭神が共通する訳ではありません。
東京のそれが「伊邪那岐命外四柱」という天つ神の代表格を祀るならば、
こちらはなんと、国つ神。
大国主の子で、国譲りに抵抗し、建御雷神(鹿島神)に破れ、
諏訪湖半に隠棲した諏訪大社の祭神、建御名方神です。
旧下総国上飯山満村最古の神社で、
文政五年(1808)の再建のこちら。
拝殿・本殿の右隣には、
並んで小さな鳥居があり、境内末社として、
中規模な富士塚のある浅間神社がありました。
低いながらも一段一段が高いので、
なかなか見た目より登り辛い富士山です。
神社の敷地内に、公民館が併設されています。
この土地が市有地なのか、それとも市に神社が土地を貸しているのか。
まあ、船橋市はその辺り、結構ユルそうです。
この神社の北西の裏側には、
この神社の別当だった、
廃寺になってしまった福壽院があって、
現在は墓地のみが残りますが、
そこには地蔵堂があって、
吉橋大師第八十二番があったんだとか・・・。
残念、次回お参りします。
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