財団法人 印旛郡市文化財センター 考古資料展示室 【移転】

平成21年度企画展「戦国INBA〜変遷する城と館〜」
平成21年12月12日(土)〜平成22年6月30日(水)
平 日 9:00〜16:30/土日祝 9:30〜16:00
入場無料
285-0025 佐倉市鏑木町198-3
公式サイト http://www.inba.or.jp/



旧堀田邸から、昼食に向う途中、
偶然通りかかったのは、財団法人印旛郡市文化財センターです。
 



印旛郡市文化財センター 考古資料展示室



印旛郡市」ってなんじゃらほい?、と、
くるりと建物の裏に廻ってみると、
開館中の札のあったこの考古資料展示室。
私が入場しないはずがありません。




印旛郡市文化財センター 考古資料展示室 内



ドアをあけるとこのスペース。
私達の他は客は誰もなく、
研究員の方がお一人。
印旛郡市とはこの佐倉市をも含む、
印旛沼周辺の自治体の集合体。




土器(模造)の復元に挑戦コーナー  発掘調査の様子のパネル展示



遺跡発掘調査の様子を、
子供向けに丁寧に説明したパネル展示の下に、
この模造された土器の復元調整コーナーがありました。
子供達はこれに夢中の様子です。




土器を復元する作業場



南側の壁はガラス張りになっていて、
印旛郡文化財センターの復元作業場を見学出来ます。
今日は祭日で誰もいませんが、
平日は地元の主婦の方々が作業をしているとか。
私も是非やってみたい作業ですが、
どうも男性には不向きなようで、
すぐに飽きてしまうらしい。 



古代、土器はそもそも女性が作り、
女性が煮炊きをしていたそうですが、
その土器を現代の女性がまたつなぎあわせる。
研究員の方が、皮肉なものだと笑っていました。




「戦国INBA〜変遷する城と館〜」チラシ(表)   「戦国INBA〜変遷する城と館〜」チラシ(裏)



さて現在ここではこの、
平成21年度企画展「戦国INBA〜変遷する城と館〜」が開催されていました。
私を「歴史ヲタ」と察してか、
お客様のご存知の通り・・・、」と、
必ず前置きをしてのマンツーマンのガイド。
ありがとうございます。
ここも撮影がOKとはうれしい限り。
ブログ用の名刺を出してご挨拶してしまいました。




天王船塚11号墳 経塚「経筒」



これは成田ニュータウン
天王船塚11号墳経塚から出土した「経筒」です。
銅製で金箔が貼られたもので高さ約15cm。
発掘時にすでに蓋はなく、
当然経は現存していませんが、
古墳を聖地として崇め、
法華経を納めた、
六十六部聖によるものか・・・。



→ 「六十六部」の検索結果一覧 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地


この経筒にはこう記されています。

十羅刹女 紀州之住快賢上人

  (釈迦坐像)奉納経王一国十二部

三十番神 当年今月吉日


長岡堂庭遺跡「四耳壺」




こちらは四街道の長岡堂庭遺跡から発掘された「四耳壺」。
墓は12世紀後半から14世紀前半のもののようですが、
いずれにしてもこんな田舎に白磁は珍しく、
おそらく中国から酒を入れて輸入したものが、
この辺境に流れ着き、宝物として骨壷に利用したと推定されます。






宝篋印塔や五輪塔や板碑





この宝篋印塔や五輪塔や板碑もその出土品です。
いいなぁ〜、欲しいなぁ〜。(←バカ。)




鰐口
鰐口が発掘された様子




この成田の東和田城遺跡でこのように発掘された鰐口。
お寺の軒先に下がる、あの神社の鈴のようなものですけど、
これにもはっきりこう記されています。

下総国埴生庄大和田八幡鰐口
長禄二年戌虎三月十五日道充敬白

「埴生庄」といえば今の成田、
大和田という地名も現存しています。
長禄二年は西暦1458年のこと。
道充さんは奉納した僧侶でしょう。
なんだかロマン、感じちゃうなぁ〜。




発掘された茶道具



さてさて、時は14世紀、
鎌倉時代後期から室町時代初期の頃の、
東国の辺境の印旛沼湖畔周辺。
千利休(1522〜1591)はまだ、
影も形もありませんが、
この通り、茶の湯の道具と思われる、
陶磁器が多数発掘されています。
これが都や鎌倉のほうで流行っている茶の湯だへさっ。
と、いったところか。(笑)




ご丁寧な説明、誠にありがとうございました。
今度は是非平日に伺って、
復元作業の様子を見学させてください。



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