屋敷 天津神社

祭神 天之御中主之大神
習275-0004 習志野市屋敷3-3440



お次は習志野市屋敷へと西に向かいます。
この"屋敷"という地名の由来は後で紹介致します。




屋敷 天津神社


やはり公民館が併設されて、地域の人々の憩いの場にも、
子供達の遊び場にもなっている、この天津神社。
名前の通り、天之御中主神を祀ります。
最近なぜかご縁が深い大神さま。
先日八千代市米本でもお逢いしました。
高天原に最初に現れた神様です。





→ 八千代 米本神社 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地 
→ 「天之御中主神」関連の記事




この地に鎮座したのは約600年前のこと。
平氏の祖、第五十代・桓武天皇の皇子、
葛原親王の後胤、坂東平家の一つ、千葉氏。
千葉常胤の子、千葉胤信が幕張の庄の領主となり
更にその子孫の千葉康胤の時代に、
この地に居城を構えたそうで、
以後、馬加屋敷と称されました。
これが今も「屋敷」となった理由です。
この平康胤が勧請奉斎したのがこちらの天津神社なのです。



天津神社 本殿


幣殿はなく、小さな本殿ですが、
この大きさには珍しい瓦葺です。
千木・鰹木はありません。



古い石祠群  



境内末社だったのでしょうか。
拝殿右手前には、少し蕩けてしまって、
もうほとんど字の読めない石祠がまとまっていました。




末社 浅間神社=富士塚



本殿左後ろには、
小さな富士塚状になっている、
明治十八年(1885)建立の、
末社浅間神社がありました。



天津神社内大師堂  大師堂内の石造大師像




境内、大師堂があります。
第三十四番の札がありましたが、
これはどうも秩父三十四ヶ所結願の奉納のようで、
吉橋大師講とは無関係のようです。




大師堂改修落成記念碑  


神仏混淆の名残であると思っていたら、
「大師堂改修落成記念碑」を読むと、
昭和二十三年(1948)の創建、昭和五十二年(1977)の改修・建立と、
あまり深い歴史のないものでした。




樹齢380年のアカガシ




習志野市名木百選の一つ。
樹齢380年のアカガシがいいです。





屋敷霊園




さて天津神社を後にして、
そのまま、西に進むと、
寺はないものの「真言宗豊山派」を冠した、
屋敷霊園という墓地がありました。
古い墓地のようですけど、
現在は千葉市花見川区の宝幢寺さんが管理しているようです。
元々ここにあった寺が移転したのか、
それとも廃寺の跡で、そのお寺が管理しているのか、
まったく不明のままで終わりました。





屋敷一丁目広場  青面金剛王碑  




更に西に進むと「屋敷一丁目広場」という児童公園の真ん中に、
天保二年(1831)建立のこの巨大な青面金剛王碑がありました。
庚申塚も青面金剛王碑も、
馬頭観音も珍しくはありませんが、
みな小さなものが多数まとめられて群れているのが現状です。
ここまで大きな碑が、公園の中央に鎮座している様は圧巻でした。




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