宗派 浄土宗 大本山
本尊 阿弥陀如来
105-0011 港区芝公園4-7-35
公式サイト http://www.zojoji.or.jp/
私の担当得意先ではありませんが、
今日は午前中から芝公園のホテルに出向き、
「ソーカイ」の「お手伝い」のアシストの予定です。
午前10時にJR浜松町駅に到着。
先に朝から手伝っている担当者に電話を入れてみると、
まだまったく「動き」がないようです。
→ 記事一覧 - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】
さて芝公園には、
東京の代表的な大寺院の一つである、
浄土宗の大本山、芝・増上寺があります。
今まですっかりこれらの記事で、
紹介したつもりになっていましたが、
検索してみるとまだだったので驚きました。
そんな訳で、駆け足で"見所"の写真を撮って、
詳しい記事は週末に書きました。
まずはこの芝大門。地名にもなっておりますが、
現在のこれは、昭和十二年(1937)に復元された鉄筋コンクリート製。
そもそもの旧大門はこれより一回り小さくて、
慶長三年(1598)に、江戸城の大手門を城の拡張と、
増上寺の芝、移転に合わせて贈られたものでした。
関東大震災で倒壊しそうになって、両国の回向院に移築されましたが、
昭和二十年(1945)の空襲によって焼失したとか。
増上寺、いや、芝の街のシンボル、
都内23区の最古の建築物であって東日本最大級のこの赤門は、
元和八年(1622)建立の都内で、次に最も「国宝」に近い「三解脱門」です。
大門が「表門」に当たるのでこの三門は「中門」になるそうです。
その左側にある、黒門は元は現在の御成門交差点付近にあった、
方丈の表門であった旧方丈門で、慶安年間(1648〜1658)の建立とか。
明治時代に鐘楼堂脇に移築し、さらに昭和五十五年(1980)に、
ここに通用門として移築したそうです。
その奥の経蔵は木に隠れてよく見えませんが、
かなり手が加えられているものの、
そもそもは家康の寄進。建物そのものは、
都の有形文化財にとどまっていますけれど、
本来中に収蔵されていた各大蔵経は、国の重要文化財に指定されています。
さて三門前の参道に戻り、
正面左側の手水場、水盤舎に注目。
これはそもそも清揚院(綱重)霊廟にあったものでした。
実はこの芝増上寺、元は現在の東京プリンスホテル、
ザ・プリンス パークタワー東京、そして
区立芝公園一帯を含む広大な敷地を有していましたが、
昭和二十年(1945)の二度の空襲直撃で、
甚大な被害を受け、その後はかなり形を変えているのです。
正面参道右手、この鐘楼堂も戦後の再建。
しかし梵鐘そのものは江戸最古の延宝元年(1673)の鋳造。
江戸三大名鐘と呼ばれ、その音は数々の川柳に詠まれています。
さて、後ろにすでに日本二位の高さに落ちた、
東京タワーを従える現在の本堂は「大殿」です。
やはり鉄筋コンクリートの昭和四十九年(1974)建立ですが、
ご本尊の阿弥陀如来は室町期の製作と推定されています。
大殿左手の光摂殿と増上寺会館も味のない鉄筋コンクリート製です。
しかし右手の改修中の安国殿は、
現在は恵心僧都作とされる秘仏の黒本尊(阿弥陀如来)が祀られています。
この安国殿についてはまた後述の「芝東照宮」で触れます。
→ 芝東照宮 - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】
その安国殿の右手前には、
江戸三十三観音のご本尊、西向観音を祀る、
西向観音堂があります。
安国殿の裏側には、空襲で被害を受け、
一ヶ所にまとめられた徳川家の墓所があります。
この門は旧の「国宝」で「鋳抜門」とよばれ、
そもそもは文昭院(家宣)霊廟の宝塔前にあったものです。
これも何度か書いておりますが、徳川将軍家の墓は、
初代家康と三代家光の日光東照宮と、
ラストショーグン15代慶喜の谷中墓地を除き、
家康が信者だったこの浄土宗のここ増上寺と、
彼のブレーンだった天海の作った天台宗の寛永寺に分かれます。
こちらには二代秀忠・六代家宣・七代家継、
九代家重・十二代家慶・十四代家茂の六人の将軍と、
秀忠公夫人と、皇女和宮らの五人の正室、
家光側室で、綱吉の母、桂昌院ら五人の側室他、
歴代将軍の子女が埋葬されています。
墓所は通常非公開で、
年に一度、四月のある期間のみ開放されます
普段は壁の上から覗くのみです。
この墓所の向かいには、西向観音に対して、
「東向」に祀られた普賢・地蔵・虚空蔵・文殊と四菩薩が祀られています。
正嘉二年(1258)の建立と伝わりますが、ちょっと・・・・・・です。
また現在の境内の北東、つまり鬼門に、熊野神社が祀られています。
元和十年(1624)に、第十三世の正誉廓山上人が勧請したとか。
北側に隣接する東京プリンスホテルの、
駐車場北側には、元々は増上寺の裏門であって、
将軍が参詣・墓参する際に、訪れた為、
「御成門」とよばれたこの門が移築されています。
そもそもは地名の通り「御成門交差点」付近にあったそうです。
そして東京プリンスホテル駐車場東側には、
元は有章院(家継)霊廟の前にあった二天門があります。
さらに増上寺南側、
ザ・プリンス パークタワー東京と境界には、
台徳院(秀忠)霊廟の惣門がありますが、
これら境内外の三つの門の"所有権"は、
現在は増上寺にないそうで・・・。
あたしゃ、いずれの所有でも構いませんが、
きちんと後世まで保存してほしく思います。
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