鳥居稲荷神社

祭神 倉稲魂命豊受姫
103-0026 中央区日本橋兜町20-2



へそ曲がりの私にしては珍しく、
人並みにサッカーのテレビ観戦で夜なべをして、
寝不足でフラフラの一日です。
「ソーカイ」はすべて終わったものの、
代理要員の確保・打ち合わせに負われた今朝。
あっと言う間に昼になり、
あまり食欲はありませんが、
今日も京橋の「蕎麦まえだ」に歩きます。
踵が痛く、ヨロヨロと歩いていると、
左の路地に赤い鳥居が見えました。
はて?、初めて気づきました。
なんの神社だろうか。




鳥居稲荷神社



赤い鳥居の隣りには「鳥居稲荷神社」とあります。
しかし、「神社に鳥居」があるということは、
「ファミレスにハンバーグ」がある以上に当然のことです。
なのになんで「鳥居」神社なのさっ?。




案内板によると、鎮座の年代は不詳ですが、
この地にはそもそも鳥居忠瞭の上屋敷があって、
その家中にあった稲荷社だったようです。
鳥居忠瞭といえば、あの「血天井」で有名な鳥居元忠から数えて七代、
丹波守、下野壬生藩の第二代藩主、壬生藩鳥居家六代の藩主。
屋敷は享保六年(1721)の大火で焼失し、
その跡地は町屋街となりますが、
この町人達がこの元は武家屋敷内の一稲荷社を崇め再興します。
昭和二十年(1945)3月10日の東京大空襲で社殿をまた焼失致しますが、
昭和四十四年(1969)には崇敬会を発足。
昭和五十二年(1977)に社殿を改築しました。
それが今日のこの社殿です。




私の手元にある幕末の文久年間(1861〜1863)の古地図には、
なぜか、まったく記載がありませんが、
庶民の祈りの小祠は脈々と生き続けたという訳です




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