浄土真宗本願寺派 習志野布教所 照光寺 その二 〜義父の十三回忌&41th誕生日〜

宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
275-0001 習志野市習志野3-12-12*1
公式サイト http://sho-ko-ji.org/
公式ブログ http://www.kaikyou.net/narashino-fukyosho-shokoji/



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さて去年の今日は、
手術台の上で二度目の成人式を迎えました。
今年はこの私の誕生日に、
義父の十三回忌の法要が行われます。
実際に義父が突然亡くなったのは、
十二年前の8月25日のこと。
一年も早いですが"一回り"も早いもの。
ともかくあたしゃ、バカボンのパパと同い年になってしまった訳です・・・。



さて、妻の実家の宗旨は、浄土真宗本願寺派
所謂「お西さん」と呼ばれる宗派です。
ただし義父母はともに薩摩藩こと鹿児島県の出身で、
義父が亡くなるまではお寺となんのつながりもなかったもので、
葬祭式場、葬儀屋さんに紹介してもらった、
「お西さん」のお寺の住職を招き、通夜・告別式を行って、
その後も春秋の彼岸や盂蘭盆会等の法要はそのお寺に伺っておりました。




近年なんとも荘厳で煌びやかな本堂を建てて、
なんと写経までも行うそちらのお寺です・・・。
その法話にも、知事選挙の候補者の名前が出たり、
どうも「他力本願」にはほど遠い内容で、
門徒外の私からしても、首をかしげておりました。
その対応も商業主義的で、義母もちょっと不審を抱いていたようです。




墓地は市営霊園にありますので、
お寺を代えることもさほど難しくはないでしょう。
浄土真宗といえば、
親鸞聖人はそもそも肉食妻帯を認め、
非僧非俗の立場をとっていた方です。




→ 浄土真宗本願寺派 習志野布教所 照光寺 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地



人生に挫折して、歎異抄に触れて浄土真宗の僧となり、
借家を借りて寺として妻子と住み布教する。
こんな形式こそが一番その親鸞の遺志に近いような気がします。
義母に勧めてみると、早速伺ってすぐに話が進み、
この十三回忌に住職が来ていただけることとなりました。





(注;この動画に照光寺の住職さんが登場するのは冒頭のみです。)



これはとても楽しみです。




十三回忌法要(長男・次男・長女)




午前11時、義父の十三回忌の法要が始まりました。
お経は約45分。六畳の仏間に住職の声明が響きます。




住職・脇本正範氏



お経の後は法話です。
住職・脇本正範氏。私達夫婦よりも四つ年下で、
なんと、甥の高校野球部の先輩でした。
なんとも不思議なご縁です。



甥の高校野球 → 20062007
甥の大学野球 → その一



甥二人、姪、我が子二名と子供達も多かったので、
とても易しい言葉で、
また義兄二人と甥の為、野球に喩えて、
他力を説明して頂けました。
自力はしっかりと根を張って立つ固く太い木。
これは私もとても同感・・・。
私は他力は「強風にもしなり立つ、竹や柳。」だと思っていましたが、
その固く太い木が、折れてしまってもいいじゃん。が、他力。」だと聞き、
とても納得してしまいました。



中途半端な門徒外の私の知識と質問に対してもけして否定せず、
ツッコミ所は多数ありますが、大まかは合っています。
と、笑顔で答えていただける脇本さん。
そのスタンスはさすがです。



それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、
凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。
一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、
おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、
一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、
六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、
ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、
誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。


最後に「白骨の御文章」でちょうど一時間。
義父の十三回忌法要が終わりました。




親鸞の言葉を集めた歎異抄には、
父母の孝養のためとて、一返にても念仏まうしたること、いまださふらはず。
とあり、そもそも浄土真宗においては、
追善供養というものは行いません。



つまりは「仏法にふれる機縁の法要」なんだそうですけど、
なるほど納得の機縁を頂きました。





南無阿弥陀仏。(合掌)





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