市川市指定有形文化財
272-0103 市川市本行徳34先
公式サイト http://www.city.ichikawa.lg.jp/edu09/1511000007.html
ふと、思うところあって、
ずっと気になっていた歴史ある寺町、
行徳に行って見ました。
→ 海厳山 普光院 徳願寺 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
この通り、古い町並みが残る、
行徳を訪れるのは、この時以来約三年ぶりのことです。
ここまで書くと、ここの賢明な読者の方々は、
このバカの今日の"真の目的地"が、
もう容易く想像出来る事と存じますが、
それは気付かなかったこととして、
先に読み進めて頂ければ幸いでございます。(汗)
旧江戸川沿いにある「常夜灯公園」です。
地元の人々の散歩・ジョギングコースとなっているようです。
さてこの高さ4.31mの石造常夜灯は、
文化九年(1812)に建立されたもので、
市川市指定有形文化財に登録されています。
昭和四十五年(1970)の旧江戸川堤防拡張工事により、
多少位置を移動したものの約二百年間変わらずにここに建ち続けています。
古くは塩の産地であった行徳です。
そもそもこの塩輸送の為に、
寛永九年(1632)幕府から、ここ行徳の新河岸と、
日本橋小網町の間の航路の独占権を得た本行徳村。
これが後に人や他の物資の輸送にも使われ、
俗に「行徳船」と呼ばれるようになりました。
毎日午前6時から午後6時までの12時間中、
この三里八丁(12.6km)の間を、
最大時の幕末当時には62艘が往復していたそうで、
成田山への参詣路として栄えたそうです。
松尾芭蕉、十返舎一九、小林一茶、渡辺崋山、大原幽学も利用したとか。
現代この間の下に地下鉄東西線が走っているのは全くの偶然でしょう。
この常夜灯を建てた、
日本橋西河岸と蔵屋敷の成田山講中の寄進者の名前が
今もはっきりと読み取ることが出来ます。
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