宗派 曹洞宗
本尊 薬師瑠璃光如来
299-2100 安房郡鋸南町鋸山
日本寺公式サイト http://www.nihonji.jp/
鋸山ロープウェー公式サイト http://www.keisei.co.jp/group/nokogiri-mt/
20数年ぶりに鋸山にやって参りました。
その時にも隣にこの女性がおりましたが、
思えばお互い年を取ったものです・・・。(汗)
丁度真ん中で、すれ違うロープウェイ。
色は新しく京成のスカイライナーのカラーに塗られているものの、
ボディはかなり古く昔のカラーの跡と錆が浮き出ています。
そこいらの絶叫マシーンより怖いかも。(汗)
対岸の神奈川の久里浜が手に届くほど近く見えます。
東京湾全体も丸く見渡せますし、
横浜や都心のビル群、
また幕張の高層ビルも薄っすらと確認できます。
鋸山山頂の前には、竜悦庵とかかげられた?な小祠があります。
中には女性性器を象る木の股と、
木彫の男根こと男性性器、
そしてなぜかビーナス像・・・。
・・・なんやねんな、こりゃ。
ロープウェイの鋸山山頂駅からしばらく下り、
日本寺へ西口管理所から拝観料を払い入場。
本来のお寺の表参道とは違い、
ちょうど裏手に当たります。
まずは百尺観音に拝します。
昭和四十一年(1966)に、かつての房州石の石切場跡に彫刻された観音様。
世界戦争戦士病没殉難者供養と、交通犠牲者供養のために建立されました。
名所「地獄のぞき」より、下界を望みます。
この時点でかみさんはもうグロッキー。
20年前はまだまだ元気にはしゃいでおりました。
千五百羅漢を拝しながら鋸山を下ります。
首のない羅漢像をみて質問を受けて、
息子達に「神仏分離」「廃仏毀釈」について講義するも、
階段で息がきれて途絶えがちです。
大仏広場に到着しました。
薬師瑠璃光如来、日本寺大仏です。
総高が31.05m、御丈21.3mに及ぶことから、
奈良大仏の総高18.18m、御丈14.85m、
鎌倉大仏の総高13.35m、御丈11.312mよりも大きく、
元は日本一の大仏を自称していたものの、
最近は牛久大仏等に遠く抜かれ、
日本一の"石大仏"と徐々に変更しているようです。
元々は天明三年(1783)に千五百羅漢と同じ、
大野甚五郎英令が磨崖仏として刻んだものでありましたが、
江戸末期に風食によって倒壊した為、
昭和四十四年(1969)にブロック状に石を積みなおして復元したものです。
ですから正確には日本一の磨崖仏でもありません。
大黒堂には弘法大師の彫られたと言い伝えられている大黒尊天。
このお寺はそもそも法相宗でありましたが、
後に天台宗、真言宗を経て、現在は曹洞宗となっています。
こちらの真新しい薬師本殿に、
日本寺の本尊、薬師瑠璃光如来が祀られています。
こちらの創建も本日の前の二寺と同様、行基菩薩。
神亀二年(725)とされており聖武天皇の勅願と伝わります。
しかし昭和十四年(1939)に登山者の失火によって、
堂宇・仏像を灰燼に帰し、今もなおその復興がなされている途中です。
房総に渡り再起を誓い、ここで武運を祈願した源頼朝が、
自ら手植えをしたと伝えられる樹齢800年の大蘇鉄です。
そのすぐ近くにはこの寺唯一の国指定重文の梵鐘があります。
元々は下野国佐野庄堀籠郷(現在の栃木県佐野市掘米町)、
天宝寺の鐘として寄進され、
その後、鎌倉五山の浄妙寺の鐘となって、
さらに江戸湾を渡り日本寺の鐘となったとか。
激しい石段の上り下りに家族一同、
「お父さんに騙された。」と声を揃えて、
ブーブー文句を言って私を責めます。
確かに「ロープウェイに乗ろう。」としか、
三人には言っておりませんですけれど、
しかし後半、一番辛かったのは、
鎮痛剤の効果が切れてしまって、
両足踵に激痛の走っていた私、本人です。
本当はもっと下に降りて、
仁王門や観音堂、行基椎や弘法池も見たかったんですけれど、
残念ながら、ギブアップ。
痛みに耐えながら石段を登り、
黒いシャツに白い塩が吹き出るほどに、
ダラダラと冷や汗をかいて、
どうにかロープウェーの鋸山山頂駅に帰還。
渋滞の中、車内で熟睡する三人を乗せて
どうにかこうにか帰宅して、風呂に入り、
晩酌した後に、ソファにダウン。
深夜に目が覚めるまで、
まったく記憶がないほどにクタクタでした。
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