眞圓山 東陽院 〜十返舎一九墓〜

宗派 日蓮宗
本尊 ?
104-0054 中央区勝どき4-12-9




さて明日の"吊るし上げられ会議"為の、
言い訳資料作成に勤しむ前日の今日です。
そして全く関係ないものの、
別の会議の予定もあります・・・。
午後は半分、気分転換に
久しぶりに勝どきの休眠顧客に伺いました。
はて?、前回ここに伺ったのはいつのことか。
まったくブログに載せていないようなので、
あれは五年以上前のことか。




真円山 東陽院




関東大震災後にここ勝どきに移転したこの日蓮宗のお寺です。
五年前とはちょっと違って正面左に鉄筋コンクリートの庫裡(?)があります。




十返舎一九墓の碑




十返舎一九墓の墓があることで有名なこちら。
しかし残念ながらお墓自体は未公開のようです。
門前右手には、この昭和三十三年(1958)に東宝によって建てられた碑があります。




映画パンフレット 伴淳三郎「野次喜多金比羅道中・他」




おそらくこの映画の公開の頃の記念碑です。
折角ですから中央区教育委員会の看板もここに写しましょう。



 十返舎一九


     所在地 中央区勝どき四-十二-九(東陽院)



十返舎一九は本姓を重田といい、明和二年(一
七六五)駿河静岡市)に生まれた。その後、江
戸に出て、日本橋の出版業者・蔦屋重三郎付の作
家となり、多くの黄表紙・洒落本を書いた。なか
でも「東海道中膝栗毛」はよく知られ、主人公の
栃面屋弥次郎兵衛と喜多八が日本橋から東海道
旅し、伊勢神宮の後、京都へたどりつくという旅
行記の形式をとる物語であり、続編に続編を重ね、
一九の代表作となった。
天保二年(一八三二)に没し、浅草永住町の東
陽院に葬られた。東陽院は関東大震災後、当地に
移転し、墓も移された。
墓石には次の辞世が刻んである。



   此世をば どりやお暇に 線香の 
    煙と共に はい左様なら



墓は、句の歴史や文化に関わりの深いものとし
て、中央区文化財に登録されている。



平成四年三月
             中央区教育委員会


まなぶ不動身明王尊



門前左手には、このまなぶ不動明王
近くで殉職した消防官を祀ったもののようです。
この碑を読んで感動してしまいました。
しかしちょっとググッってみても、
碑の全文を写したものはないようです。
それならば私がここに書写しましょう。
是非、全文お読み下さい。



防災 まなぶ不動明王縁起



東京消防庁臨港消防署員 消防司令佐藤学君は 昭和五十七年五月五日深夜 中央区勝どきのマンション火
災に出場 猛煙猛火を掻いくぐって七階ベランダに突入し 熾烈なる火災に対し 我が身を母子らの楯とし
身を焼かれながらも庇護し 次々と四名の救出に成功した そのあと リフターに自分も乗れば重量が超過
して墜落する危険があることを考慮し救出活動と酸素欠乏で極度に疲労した体にむち打ち 一人火災を分け
て無粋のはしご車の先端に飛びついたのであった しかし悲情にもそのはしごは噴出する火災に赤く焼けてい
て 灼熱のはしごを握る両の掌は焼けただれ ために握力が弱まっていた所に 一挙に拡大して噴射した火
炎と熱風に圧せられて殉職なされた 享年三十才 新婚三ヶ月であった 消防官は命綱を携帯し その訓練を
積み 危険にひんすればその場を脱する術を有しながら あえて修羅の場に踏み留まり最後の最後まで我が
身を犠牲と尊い人命を救助した 同君は先のホテルニュージャパン火災においても宿泊客四名を救助するな
ど数多くの災害に出場し 積極果敢に職務を遂行した優秀な消防官であった 同君の殉職に対し 全国未知
の方々から赤心溢れる弔慰を受けて感激した遺族が この度私どもが味わった深刻な悲哀を 二度と何人にも
嘗めさせたくないという悲願と 志なかばにして倒れた故人のみ霊を その終焉の地に消防官として留どめ
たいとの念願である事を知り かの熾烈なマンション火災における 同君の人間愛と消防官の使命感に燃えた
ぎる 鬼人も泣く壮烈極まる人命救助の活躍を目撃して感動した一人として これに応え 都立瑞江葬儀場に
於いて故人を荼毘に付した際に 同所係員が 出炉して来た台上の遺骨のみ仏の扶座するお姿にも似た喉
仏を指し「このような形で残ることは極めて稀であって 私どもは 善根を積んだお人に顕れる現象と見て
おり そしてそのお人は真に成仏なされたものと信じている」と語られた その喉仏を分骨し「妙法蓮華経
」第一部八巻と共に不動明王の胎内に納めて 市民を火災及び交通事故など諸々の災難から守り 併せて首都
の防衛に任ずる 警察、消防関係者の安全を祈願して安置するものである



  昭和五十八年五月五日               真円山東陽院 第三十世 栗塚正行 謹書


本堂(+清正公堂)正面



庫裡の奥、木造の本堂の右側は、
加藤清正を祀る、清正公堂のようです。




清正公




確かに、清正像らしき木像を拝せました。



浄行菩薩像



境内には日蓮宗寺院によくある、
お約束の浄行菩薩像。



本堂と墓所堂



その裏に浅草から移転された、
墓所が並ぶであろうこの独特の堂宇が建っています。




長屋とお寺と高層マンション




長屋とお寺と高層ビル・マンションが共存する、
この月島、勝どき界隈・・・。
なんとも摩訶不思議な光景です。




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