祭神 伊佐波登美命・玉柱屋姫命
104-0032 中央区八丁堀3-6-6
八丁堀の町を歩いていると、
駐車場の脇に、この千木・鰹木か見えました。
この正面入口に廻ってみると、
青銅の鳥居の奥には、ほんの小さな境内があって
その小祠には「天祖神社」と掲げれておりました。
天祖神社とは、天孫の祖・天照大神を祀り、
伊勢神宮内宮を総本社とする、多くは"神明神社"でありますが、
こちらの由緒を読むと、それは少し違うようです。
どうやらこの伊勢神宮別宮の一つ、
現在の三重県志摩市磯部町上之郷にある、
「伊雑宮」の勧請であって、
神宮を名乗る神社を整理した、
明治以降にこの名称に改称したようです。
「伊雑宮」は、志摩国の一宮でもあって、
正式には「伊雜宮」と書きます。
私の手元にあった、文久三年(1863)の切絵図を見ると、
この通り「礒部大神宮」とあります。
そう「伊雜宮」は「磯部の宮」「磯部の大神宮」とも呼ばれています。
右隣には伊勢別宮では唯一という「神田」もちゃんとありました。
神宮神職、礒部氏の祖先とされる二柱を祀っていたとされていたものの、
三重の本社は、明治以降に、天照大神に変わりました。
しかし、こちらはまだ伊佐波登美命・玉柱屋姫命のままです。
寛永元年(1623)に京橋に建立され、
寛永十年(1633)にに現在地に遷り、
当時は三百坪あったという社地は、
一時は商家・町屋の庭の片隅に置かれたこともあったとか。
その商家が隆盛したりして、有為転変があったようです。
まさに江戸庶民の祈りの歴史と共に歩んだ神社です。
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