「東北地方太平洋沖地震」について


地震当日は我が家親類全員が無事であることのみを報告し、
ブログの更新を自粛・延期致しました。
東北地方で被災した方々とは、比べるべくもありませんが、
この日の私の体験レポート。




都心の古いタイプのビルの中にいた私。
始めは、自身の眩暈かと・・・。
いやいやこりゃかなり大きな地震だよ。
私が騒いだ時には、まだ気付いていない人ばかり。
これはまだ初期微動だったんだ・・・。
横揺れから、縦揺れがミシミシ、ガシガシ。
みんなが大きな地震であることを気付き、
警備員がとにかく「外に非難しろ」という案内。
これは後に他の同僚・部下の話を聞くと、
最近の新しいビル内にいた者は、
「外に出ないで」という案内だったとか。



目下のアスファルトが絨毯のようにうねり、
近くの高層ビルが崩れる寸前の「ジェンガ」のように揺れています。
ガキの頃から、避難訓練には呆れるほどに慣れていますが、
本番は今日が初めて・・・。
地震で「ひょっとするとここで死ぬかも・・・。」
と、感じたことも今日が初めてのことでした。
携帯は通話もメールも通じないものの、
ワンセグのみは役に立ちます。
ここで東北の大地震であることが初めて分かりました。
湾岸方面から黒煙が上がり、空が暗くなりました。
お台場で大きな火事になっているようです。




どうにかこうにか職場に戻ると、
案の定、パニック状態。
ネットは通じるものの、
携帯も固定電話もほとんど通じないので、
全容は不明のままです。
ようやく通じた携帯でかみさんの無事は確認出来ました。
携帯は通話よりもi-modeメールが先に復旧しました。
夕方になってこれで子供達の無事も確認。




とにかくまずは、一安心。
仕事の電話に専念出来ます。
しかし、こうなってしまうと、
実に、何にも出来ない我が社の事業・・・。
相手方からのキャンセルもありますが、
提供不能の状況説明と受注"お断わり"が続きます。




さて、午後9時近くになって、
帰宅できる者は帰ろうということになりました。
社用車のクラウンを1台キープして、
私は、千葉方面の同期二名・後輩一名の三名を集めて、
この方面の抜け道に自信がある、私自らの運転で、
日本橋兜町を出発しました。



主要道路は、まるで駐車場のようにピッタリと止まったまま・・・。
ナビのない連絡用の社用車です。
WiMAXルータとipod touchを駆使して抜け道を探します。
まずは人形町の一通をちょこまかと久松町を抜けて、
両国橋を目指しました。
しかしここまでは順調でも、橋がなかなか渡れない。



ようやく両国橋を渡り、京葉道路を避けて、
首都高寄りの一通をまたまたちょこまか。
住宅地の細い路地で何度も切り返す局面もあり、
お次は、新大橋通りへと逃げます。
しかしこれも巨大な駐車場。
空いているという情報の明治通りを南下して、
湾岸357線を目指しました。
しかし夢の島は、荒川河口橋に並ぶ渋滞で、
ここでまた、ピッタリとストップ。




南砂から清砂橋清新町へ。ここまでで約三時間。
ラジオによれば、どうやら東西線が、
妙典駅の折り返しのようですが、ようやく動き出したとか・・・。
葛西駅近くで行徳在住を一名降ろし、
再び環七で湾岸357線へ。




しかしやっぱり舞浜大橋が渡れない渋滞で、
全く動かずに、Uターン。
またまた住宅地の一通を駆使して、浦安橋へ。
やっとのことで千葉県に戻りました・・・。
こんなうれしかった県境は初体験。
その後、市川・行徳方面を目指しながら、
再度住宅地の一通を使い、湾岸へとチャレンジ。




市川市日の出の工業団地を通過すると、
液状化現象がそこかしこ・・・。
地形が変わり、水が溢れ、泥だらけ。
車が何台も泥に埋もれて斜めになっています・・・。
いやいや、凄い光景でした。
一堂、無言で、ようやく夢にまでみた湾岸に・・・。
しかしついにここでi-podの電池が切れました。
さっきまで空いていた湾岸のようですが、
事故もあったようで、ぴっちりと大渋滞・・・。




ここでラジオの情報では、京葉道路が復旧したとか。
建設中の外環の側道を利用して、市川市街、市川ICへ。
・・・しかし、京葉道復旧はデマでした。
逃げ道を失い大渋滞の国道14号に捕まりました・・・。
とろとろと一時間。西船近くで船橋在住を一名降ろし、
夏見方面に逃げて、海神を通過して船橋市場から船取線へ。




津田沼駅前で私が降りて、最後のイトーチャンと運転を変わり、
彼はまだまだ遠い酒々井の自宅へと向うため、
成田街道へと突っ込んで行きました。




時刻はもう午前2時半近く。
5時間40分の長旅でした・・・。




途中何度か、みんなで夕食を食べようと、
24時間営業のファミレスや牛丼屋に寄るも臨時休業ばかり。
コンビニはほとんど空っぽでした。
結局腹ペコのままで別れました。



しかし、途中すべての道路に徒歩で家を目指す方々が沢山いました。
彼らに比べれば、温かい車での移動の私達はまだだ恵まれておりました。
いやいや東北地方で被災した方々とはいずれも比べるべくもないことです。




行方不明者の一刻も早い発見と亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、
被災なさったすべての方々に、心よりお見舞い申し上げます。




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