兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑 ~大村益次郎・司馬遼太郎終焉の地〜

540-0006 大阪市中央区法円坂2 国立病院大阪医療センター南東角




国立病院大阪医療センター



司馬遼太郎の終焉の地でもある、
国立病院大阪医療センター
ここは彼が「花神」で描いた村田蔵六こと、
大村益次郎が、京都三条で刺客に襲われて、
一命をとりとめてここに転院したものの、
二ヶ月後に敗血症で亡くなった場所でもあります。



兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑  兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑 近景



そんな訳で、この病院の南東の角に、
昭和十五年(1940)に建てられた、
「兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑」があります。




大村益次郎像  碑文




「火吹き達磨」とあだ名された大村益次郎
適塾に学び、彰義隊を瞬間で壊滅させて、
靖国神社内に日本初の西洋式銅像を建てられました。
西郷隆盛の後の反乱を見通してしたことでも有名です。




発起人名1  発起人名2





しかし、この碑の、この発起人の、
荘そうたる、凄いメンツ揃いなこと。。。