光智山 (かしく寺) 法清寺 〜かしく墓〜

宗派 日蓮宗
本尊 一塔両尊
530-0057 大阪市北区曽根崎1-2-19




梅田で一件目のアポを終えて、
二件目の目的地を地図で探していると、
曽根崎通りの少し先に、
「かしく寺」という文字をみつけました。
「隠し寺」?いえ、「かしく」だな。
なんだろう気になる。。。



光智山 法清寺   本堂




風俗街の中にある日蓮宗のお寺、
「光智山・法清寺」さんです。
創建は不明だそうですが、
この伽藍は明治四十四年(1911)の再建だそうです。



かしく明神堂  四世花柳芳次郎寄進香炉




本堂の手前にあるこの祠が、
「かしく大明神」を祀る、
「かしく明神堂」です。
四世花柳芳次郎寄進香炉がありますが、
実はこれ元・遊女かしくさんのお墓です。




かしく様縁起
  しゃもじ




要するに寛延二年(1749)の頃、
この北の新地にいた「かしく」さんという遊女が、
天満の人に落籍されて妾となって住んでおりました。
この「かしく」さん、
平素はとても気立てのよい女性だったそうですが、
お酒を飲むと前後を忘れてしまう酒乱の気があったそうで、
ついにはある日酒のことで口論となって、
お兄さんを殺めてしまい、兄殺しの罪で、
引き回しの上獄門と言い渡されます。
処刑の日、かしくさんは油揚げを一枚所望しました。
食べるのではなくその油を髪につけて整えて、
市中引き回しに臨んだそうです。
この女性らしさ奥ゆかしさが評判となって、
なんとその処刑のたった八日後には、
「八重霞浪花浜萩」という、
浄瑠璃になって上演されたとか。




御簾  墓石




かしくさん自らの酒乱を大変悔やみまして、
最期の一念で、自分とおなじ悪癖に悩む世の人の為に、
悪酒やめ、酒に乱れぬ神霊とならんと誓願しました。
以後、かしくさんのお墓に詣でる人が跡を絶たず、
幕末にはこの墓石を削り取って煎じて飲むと、
酒乱が治るとの風評が流れたそうです。
今では墓石はこの御簾の奥にあり、
「酔い(良い)守り」を授与してくださるとか。



長谷川幸延碑




境内には、長谷川幸延さんのこんな石碑がありました。



酒の咎 引き受け申しそろ かしく

             長谷川 幸延