宗派 曹洞宗
本尊 ?
530-0035 大阪市北区同心1-3-1
難波から市営地下鉄で南森町に出て、
前回も訪問した天満橋の企業に向かう途中、
「緒方洪庵墓所」という案内板をみて少し寄り道をしました。
緒方洪庵は江戸で客死しており、
遺体は東京の駒込の高林寺に葬られ、
そこに立派な墓がありますが、
地元のこちらは遺髪のみのお墓のようです。
古くからの寺町と思われる周辺の街並。
曹洞宗の逢來山・龍海寺の本堂。
この本堂からみて左手に墓地があります。
緒方洪庵と妻の八重の墓石が二つ並んでいます。
八重さんは、洪庵さんとの間に七男六女を儲け、
洪庵を蔭から支えた良妻として知られています。
実家からの仕送りを工面したり、
塾生たちの面倒をよく見て、
洪庵の死後も奮闘しました。
福澤諭吉は「私のお母っさんのような人」と称し、
佐野常民は、恩義が忘れられずに八重の墓碑銘を書いているそうです。
葬儀では、日本橋から自宅までの2.5km、
彼女を慕う参列者の葬列がつながったといわれています。
ご夫妻両墓石の裏に、
この通りびっしりと碑文が刻まれていました。
このご夫妻の墓地の裏手に、
この後の緒方家の墓所があり、
その右手に洪庵の師である、
中天游の墓があります。
こちらは石の風化がすすみ、
もう崩れてしまう寸前ですが、
今も緒方家がお守りしているとか。
またご夫妻の墓の右手にはこの、
「大村兵部大輔埋腿骨之地」という碑があります。
これは洪庵の弟子である大村益次郎の足塚で、
彼が刺客に襲われた後に手術で切断した足を、
本人の遺言により、師の傍らに埋葬したものです。