福徳神社 (芽吹神社) 

祭神 倉稲魂命天穂日命大己貴命・少名彦命・事代主命・三穂津媛命
103-0022 中央区日本橋室町2-4-14
公式サイト http://mebuki.jp/





福徳まつりのチラシ





年に九回の無償の早出の休日出勤。
今月はセントラル園のチェックです。
新日本橋駅からテクテク歩く、
通いなれた日本橋の裏路地。
ところどころに貼ってあったのはこのチラシ。
ふ〜ん。福徳神社の新社殿完成記念のお祭りか。。。
福徳神社といえば、この日本橋の再開発に巻き込まれて、
ビルの中の茶屋に置かれたり、
私が知っているだけでもこれで三度の遷座をしています。
どうやらやっと落ち着けたようですね。





福徳まつりの準備  福徳まつりのノボリ



10時少し前に仕事が終わり、
その新しい社殿が建立された、
コレド室町の東側に行ってみました。
11時からの福徳まつり・福徳市の準備で、
皆さんお忙しそうな様子でした。




鳥居



真新しい朱塗りの鳥居。
まだ銅の色がキレイな社殿の屋根。
その左手には蔵造のような社務所




一里塚と御由緒  ご由緒




鳥居の手前に復元された一里塚と、
ここの御由緒が記されたものが二つ。




福徳神社・芽吹稲荷




さて一昨日より一般参拝が許されている、
福徳神社・芽吹稲荷の新社殿。
創建は貞観年間(859-879)の頃と伝わり、
元々の地名であった福徳村の稲荷神社として、
その地名が社号となりました。
二代将軍秀忠は、この「福」に徳川の「徳」という、
神号を賞賛して厚く崇拝。
慶長十九年(1614)の参詣時には、
椚の皮付きの鳥居に若芽の出たのみて、
別名を「芽吹神社」と定めました。
元々あったという石造の一里塚は、
「稲荷の一里塚」と呼ばれ親しまれていましたが、
明暦三年(1657)の大地震によって崩壊。
これが今回復元されたわけです。


社殿内の本殿




まだ白木の社殿内を仰ぎみると、
幾度も遷座を繰り返している、
小さな小祠の本殿が中央に鎮座していました。
拝殿・本殿という形式を取らず、
この社殿の中央に納めたようです。




福徳神社社殿の再生計画について  福徳神社 現在までのあゆみ




境内には、この一般参拝開始に合わせて、
福徳神社社殿の再生計画について」や、
福徳神社 現在までのあゆみ」といった、
いくつかのパネルが展示されていました。




(仮称)福徳の森 完成予想図




東側の工事中の敷地は、
再来年には「(仮称)福徳の森」として、
この神社の杜として公開されるようで楽しみです。