常陸国一宮
祭神 武甕槌大神
314-0031 鹿嶋市宮中2306-1
公式サイト http://www.bokuden.or.jp/~kashimaj/
さて、続いて参りましたのは、
常陸国一宮、鹿島神宮。
ご祭神・武甕槌大神は、天照大御神の命を受け、
香取神宮のご祭神・経津主大神と共に、
出雲の国に天降りて、大国主命から、
国譲り受けた日本を代表する武神。
こちらの創建は、香取神宮の十八年前の、
なんと皇紀元年の神武天皇元年(B.C.660)。
実はとても珍しい東向きの大鳥居は、
つい数年前まで石鳥居でしたが、
東日本大震災で倒れ、木製のものに代わったばかり。
→ 鹿島神宮 鳥居倒壊
→ 境内の樹齢600年のご神木で鳥居を再建/トピックス−清水建設の社寺建築・伝統建築
楼門は、日本三大楼門の一つにともされ、
寛永十一年(1634)光圀の父の水戸初代藩主の徳川頼房の奉納。
昭和四十年代に檜皮葺をを銅板葺にしたものの当然重要文化財。
本殿・石の間・幣殿・拝殿の四棟からなる社殿は
元和五年(1618)二代将軍の徳川秀忠の寄進で、やはり重要文化財。
楼門と社殿の間にある樹齢七百年の大杉は、
境内で二番目に大きいそうで、
なんと「二郎杉」と呼ばれています。('∀`)
大樹が鬱蒼と茂る鹿島神宮の杜。
奈良の春日大社を創建する際、
鹿が鹿島神宮の御神体を運び、
奈良の鹿となりましたが、
こちらはその子孫の里帰りなんだとか。
ちなみに江戸川区の鹿骨という地名は、
そのうちの何頭が亡くなったお骨を埋葬した場所です。
参道突き当たりにある奥宮は、
慶長十年(1605)、
徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に奉納したもの。
元々はこれが本殿でしたが、
十余年後に息子の秀忠が新たな社殿を建て、
父の旧社殿がこの位置に遷されました。
奥宮から右に進むと、大鯰の碑があります。
さて鹿島の要石。
水戸光圀さんたら、
さすがはこちらは、
自分の地元なので、
七日七晩にわたって掘らせたそうですが、
やはり結局根元に辿り着かず、
怪我人が続出したそうです。
美しい湧水の御手洗池。
鹿島神宮七不思議にもなっていますが、
この池は誰が入っても、
胸のところまでにしかならないそうなので、
まぁーちゃんに入ってもらおうと、
ずっと背後を狙っていたものの失敗しました。
こちらも紅葉が見事でございました。