宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
107-0052 港区赤坂7-6-20
お昼ドキに赤坂見附の企業に呼ばれました。
ランチはすぐ近くの桂庵を予定していたのに、
なんとビルごと無くなっていて呆然。
Σ( ̄Д ̄ )
仕方がないのでコロンビア通り、
薬研坂を下り上って赤坂の中心部に戻ります。
あまりに急な為、
車賃が銀三分割増だったという、
三分坂を下りると、
この港区の文化財にも指定された、
報土寺の築地塀(練塀)があります。
ブログ記事の過去検索をしてみると、
意外なことにまだ取り上げていないよう。
ブログ開始前の掃苔マイブームでは、
何度もお参りしている古刹です。
江戸時代初めの慶長十九年(1614)、
朝倉義景の末裔という永受法師という僧が、
義景の念持仏の阿弥陀如来像を持って、
赤坂に逃げ落ちて草庵を創建したという、
真宗大谷派の咲柳山・報土寺さん
門前には港区教育委員会の雷電為右衛門墓の案内と、
東京都教育委員会の井部香山墓の案内があります。
鉄筋コンクリートの古い本堂と、
その左には住居を兼ねた庫裏があり、
住職らしき方が玄関先で、
御墓参りの檀家さんと談笑しています。
本堂の正面の植え込みに、
この「野村文挙碑」があり、
本堂左手の端に、
井部香山の功績を記した、
「香山先生之碑」があります。
野村文挙碑については、
これが墓なのかどうなのか、
調べてみたものの不明のままです。
さて本堂からみて右手前奥には、
墓地に墓のある雷電ゆかりの鐘楼・梵鐘。
これは明治になってから作り直し、
当時の雷電寄進の鐘銘が写されておりますが、
最初の鐘は形式が異様だったことと、
幕府への届出が不備で取り壊されてしまったとのこと。
さて、こちらがら、
歴代史上最強無比との伝説力士、
雷電為右衛門の墓です。
奥さんの出身地である、
佐倉にも墓がありますので、
そちらはまた別の機会に。
墓前にはこの三拾メ目(貫)=112.5kgの力石があり、
雷電はこれをお手玉のように扱っていたとか。
(꒪д꒪)
→ 井部 香山
雷電為右衛門の墓から更に墓域を奥に進むと、
左手にこの井部香山の墓があります。
墓地には、この都会の真ん中に、
今も手押しポンプ式の井戸が現役であります。