臼井城址公園(太田図書墓) 〜新川・印旛沼 サイクリング その三(6)〜 

285-0866 佐倉市臼井台895





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下からみたI郭  臼井城址入口




さて、こちらもいつかは来てみたかった、
あの上杉謙信が落とせなかったという臼井城の城跡。




→  臼井城 - Wikipedia




臼井城址案内  城址図



典型的な中世の連郭式城の平山城で、
今も四方に土塁や空堀が現存しています。



臼井八景 白嶺夕照  臼井城址公園案内



案内板はあまり詳しくなくて、
なんだかいい加減でとても残念。



II郭西側の空堀  II郭西側の空堀



西側の二の丸跡の第II郭の端、
今も深い空堀がそそり立ち、
堀の底は草木が密集していました。



土橋の案内  土橋




二の丸第II郭と、本丸の第I郭の間には、
この土橋の尾根で繋がっていて、
一度に大勢の敵が渡れぬ工夫をしており、
敵が挙って攻めて来ても、
上から防御しやすい構造になっています。


土橋下北  土橋下南




この土橋脇の左右の土塁は、
現代、近所の子供達の格好の遊び場のようですが、
文化財保護の観点から見るとちょっと心配。




I郭土塁  I郭土塁




第I郭の本丸を守る土塁が、
かなりキレイにハッキリと残っています。



I郭土塁  I郭の傾いた小祠




本丸跡にあるこの小祠は、
もう朽ち果てる寸前で傾いていましたが、
今は佐倉市立の公園内なので
現代は政教分離の原則があって、
地方自治体は治せないんですよ。




I郭からの眺め  印旛沼を望む





臼井城本丸跡から印旛沼を望みます。
印旛沼は開拓され続けておりますから、
昔はもっとすぐ下まで、
湖畔がせまっていたはずです。




I郭上




確かに攻め辛いお城のようですが、
謙信との攻防の前に二度落城しています。





太田図書墓  




初めの落城は、享徳の乱の折の、
太田道灌によるものです。
しかしながら道灌の弟(甥説もあり)、
太田図書助資忠らが討ち死にし、
今も城址公園から少し離れた、
元は三の丸だった土塁の上に、
この太田図書の墓が残されています。




太田図書墓石  太田図書の墓案内





墓石の裏に回り込んで調べたものの、
墓誌、碑文らしきものがなく、
いつの時代に建てられたものなのかは、
全く不明のままです。




富士塚




当時、城の物見台になっていただろう高台は、
その後の住民の信仰からか古峰神社を経て、
現在は浅間様を祀る富士塚になっていました。