国指定天然記念物
965-0063 神指町高瀬五百地1624
会津盆地に有数のケヤキの大木があると聞き、
鶴ヶ城の後に立ち寄ってみました。
同時にここは慶長五年(1600)、
上杉景勝が直江兼続らに命じ、
神指城を築こうとした場所でもあります。
昭和二十四年(1949)の台風で、
大枝が折れてしまったそうですが、
土塁の上に今なお樹勢堂々とした欅の大木。
樹齢は神指城築城計画前で約五百年と推定。
当時すでにに大木であったと記録されているとか。
根元の周囲12.55m、樹高は24.64m。
根を守る為に周囲は木道で囲われており、
あまり近くに寄れず、比較対象物がなくて、
なかなかその迫力が写真では伝わりません。
ここで四名揃って本日二枚目の集合写真をパチリ。
それでもこの巨大な威容は伝わんないなぁ〜、残念。
ここは神指城の二の丸を計画していた場所です。
鬼門にこの大木を置く設計も、
結局は会津征伐の後、
関ヶ原で西軍が敗れ、
上杉家は米沢に移封となって、
神指城は未完成のまま破却されます。
この神指城跡から望む磐梯山がまた絶景。
すぐ近くには、明治元年(1868)、
会津に残った斎藤一ら新撰組が、
新政府軍に襲われて壊滅したという、
「新選組殉難地」もあります。
【参加者のブログ記事】
→ http://blog.livedoor.jp/joshuaf3/archives/33729027.html