坂松山 高岳院 一心寺 〜本多忠朝墓〜

宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
543-0062 大阪市天王寺区逢阪2-8-69
公式サイト http://www.isshinji.or.jp/




一心寺  





さて、本日最後の、
神社仏閣巡りはお寺です。
文治元年(1185)法然が、
四天王寺の西門の近くに、
小さな草庵を結び、
源空庵」と称して、
住んだという跡に、
慶長元年(1596)、
本誉存牟という僧侶が、
一千日念仏修法を行って、
この寺を再興したことから、
その一心称名により、
この一心寺という名となったとか。
大坂の陣でここに陣を置いた、
徳川家康が境内の坂にあった松を讃えて、
「坂松山」の山号と寺額を贈ったそうです。




一心寺仁王門  一心寺仁王門縁起



とても奇抜で現代的な山門に、
彫刻家・神戸峰男さんによる、
サンダ&ガイラにも似た阿吽の仁王像。



阿形  吽形




門前でベビーカーに乗った小さな赤ちゃんが、
この仁王が怖かったのか、
ひきつって号泣していましたけど無理もない。



本堂  本堂内のご本尊




境内にあった歴史のある諸堂は、
大阪大空襲で灰燼に帰し、
伽藍は戦後に再建されたものです。




本多忠朝墓  




また境内には、
この上総大多喜藩二代藩主、
本多忠朝の墓とされる、
巨大な五輪塔があります。





本多忠朝墓の案内  奉納されたしゃもじ




本多忠朝は深酒をした為に、
冬の陣で大敗を喫し、
家康に叱責されたことから、
これを取り返そうとして、
夏の陣で奮闘したものの、
討ち取られ、その死に際に、
「戒むべきは酒なり。
今後わが墓に詣でる者は、
必ず酒嫌いとなるべし。」
と遺言したことから、
「酒封じの神」とされ信仰されています。
墓域は梅田のかしく寺のかしく墓同様に、
禁酒を願う人々が奉納した、
しゃもじに囲まれておりました。





→ 光智山 (かしく寺) 法清寺 〜かしく墓〜






骨仏堂  





さて骨仏の寺とも呼ばれるこちらです。
昔から宗旨に関係なく納骨を受け入れ、
全国から集まったその納骨で、
嘉永四年(1851)から、
大きな阿弥陀仏を作り、
明治二十年(1887)以後、
十年ごとに一体骨仏を作っています。
大阪大空襲で、その骨仏も焼失しますが、
昭和二十二年(1947)に戦前の残骸もかき集めて、
第七期骨仏として再開、完成致しました。
今も年中無休で納骨を受け入れており、
十年分をあわせて、
骨仏が一体作り続けられています。




一心寺の猫 新世界