開館時間 9:00〜16:30(入館は16:00迄)
休館日 月曜日(休日の場合は次の平日)・年末年始(12月28日〜1月1日・1月4日)
入場料 一般 200円・高・大学生 100円
298-0216 夷隅郡大多喜町大多喜481
公式サイト https://www2.chiba-muse.or.jp/?page_id=59
最近すっかりチャリ友となった、
高校の同級生ゾウと、
またまた急な思い付きでサイクリングに出かけます。
今回もゾウのプラドにチャリを2台積んで習志野を出発。
さてやって参りましたのは、
小港鉄道の終点で、
いすみ鉄道の最初の駅でもある、
上総中野駅でございます。
いすみ鉄道は長年に渡る赤字経営で、
このまま収支改善がなければ、
廃止も検討されていた第三セクター。
このムーミン列車や、
訓練費自己負担で列車運転免許を取得して、
運転士を採用するプランなどが話題になり、
経営が上向き当面の存続が決定しております。
さてその経営努力の一環で、
このいすみ鉄道は、
観光シーズンのピーク時や、
通勤通学の混雑時を除き、
乗車券の他に一回210円の、
自転車手回り券を購入すれば、
自転車をそのまま列車内に、
乗り込むことが出来ます。
実はこれがやってみたくて伺った次第ですが、
それは復路にすることとして、
往路はこのいすみ鉄道とほぼ平行して通る、
国道465号線をチャリで走りましょう。
まずは大多喜城跡の旧城下町を目指します。
神社に並ぶ古い旅館、
そして造り酒屋、
蔵造りの商家、
嘉永二年(1849)建立の、
国指定重文・渡辺家住宅など、
今もまだ城下町の雰囲気が、
しっかりと残る旧大多喜城下。
大多喜駅を通り過ぎて、
この大手門をくぐれば、
昔の大多喜城内と呼んでよいでしょう。
二の丸跡にある大多喜高校を通り過ぎて、
本丸跡に向かう途中、
最後の藩主・大河内正質の頃の、
明治三年(1870)に完成した、
大多喜水道の跡があります。
お隣の久留里藩は美味しい水に恵まれておりますが、
大多喜藩は飲み水に恵まれず苦労していたとか。。。
この水道は、西に2km先の水流から水を引き、
全長5.8kmの長さ(内、4kmはトンネル)で、
城下の二百戸、20haの水田を潤したそうです。
実際、大多喜城の遺構として残るのは、
大多喜高校内にある二の丸御殿薬医門と、
この空堀と土塁、大井戸のみのよう。
この天守は昭和五十年(1975)に再建。
天保十三年(1842)の模写、
三層天守絵図等を元に建てられたものですが、
その天保十三年(1842)に焼失したとされる天守が、
本当に実際存在していたのか否か、
今も論議が続いているとか。
さて、あくまでこちらは現在は、
千葉県立中央博物館大多喜城分館。
現在開催中の平成二十七年度、
収蔵資料展は「武家の意匠」。
しかし館内展示は撮影禁止。
天守最上階に当たる四階から、
城下を撮影致しました。
このむさくるしいおっさん二人に、
体験コーナーを勧める受付のおじさんって、
・・・いったい。。。(-_-;)
さて、城下の大多喜駅方面に戻ります。
さて大多喜城のすぐ横にを流れる夷隅川。
江戸時代にはこの川での魚釣りは禁止されていて、
御禁止川(おとめがわ)と呼ばれていたとか。
さて、いすみ鉄道株式会社の本社のある、
デンタルサポート大多喜駅。
ちょうど路線のほぼ中間ということもあって、
車両の車庫等もこちらのようです。
その大多喜駅構内にある、
いすみ鉄道ショップ「黄色い列車」。
公式グッズ多種販売の他、
線路の犬釘すらも売る、
涙ぐましい経営努力。。。
このホームにある忍が忍んでいない、
本多忠勝像も微妙だよね。(;´・ω・)
さて駅前ロータリーに、
この「大多喜町天然ガス記念館」がありました。
久留里と言えば水、大多喜と言えばガスですな。
私は明治の外国人お抱え技師が、
開発したものと思っていましたが、
どうやら一説には、
慶長元年(1596)には、
すでに天然ガスが発見されていたとか。