宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
273-0853 船橋市金杉6-25-6
御瀧山 遍照院 金蔵寺 → その一【吉橋大師第三十七番】
続いて9月28日が祥月命日で、
やはり同じく今年三回忌を迎える、
母方の祖母の墓参に、
松戸の都営八柱霊園に伺いました。
八柱霊園は只今ヤブ蚊が異常大発生ちう。
((((;゚Д゚)))))))
墓参後、母が三回忌のお礼に、
親類に梨を送りたいというもので、
船橋市内の梨屋さんを目指しました。
途中母がお参りしたことがないというので、
滝不動こと金蔵寺さんに立ち寄ります。
山門をくぐると、
首のないお大師さまの石像が、
いくつも立ち並ぶ境内。
これ実は明治初期の、
廃仏毀釈の仕業なんです。
江戸時代には江戸から近い水行場ということで、
多くの参詣者があったそうで、
この弁財天を祀る弁天池も、
今も渾々と水が湧き流れています。
仁王門の石段下手前右に、
再建された水行場入口があります。
不動三尊の下に不動明王変化の、
倶利伽羅不動から湧き出る滝行の清らかな水。
こちらの起源も諸説がありますが、
応永三十年(1423)、この今の境内付近が、
夜も昼間のように明るく輝き、
村人が恐れていたところに、
越後国から常陸国大名の佐竹氏に招かれて、
たまたま通りかかった能勝阿闍梨という僧が、
あやしく思って護摩を修してみると、
夢にあの慈覚大師円仁が現れて、
円仁自ら刻んだ不動尊が、
この地に埋まっているとのお告げを受けました。
早速その場所を掘ると円仁作の不動尊が発見され、
その掘った跡から水が湧き出して滝となり、
この御滝不動信仰が起こったとか。
この仁王門をくぐると、
諸堂の立ち並ぶ伽藍に出ます。
正面に本堂をみて、
左手は不動堂、右手は大師堂。
あれれ?そもそもは、
天台宗の円仁所縁のお寺なのに、
なぜか今は真言宗となり、
大師堂にも弘法大師空海が祀られています。
御瀧山縁起抄略の後ろに、
このずんぐりむっくりした灯篭があり、
珍しい御瀧型灯篭だという説明がありますが、
要するに他に似たものがないっつーことだよね?
実家の仏壇の本尊に、
あのお不動さまを勧請してからというもの、
母は熱心に不動尊にお参りするようになりました。
滝不動参詣後、
本来の目的だった二和の梨屋さんへ。
あの有名な妖精のおかげで、
最近すっかりブランド化している船橋の梨デス。