宗派 真言宗豊山派
本尊 地蔵菩薩
133-0052 江戸川区東小岩2-24-2
さて当初の目的に戻りまして、
江戸川CRにやって来ました。
こちら側は千葉県流山市、
対岸は埼玉県三郷市です。
これを東京湾河口まで下ります。
流山市内から松戸市内に入ると、
江戸川土手ではいろいろなイベントをやっていて、
案外賑やかです。江戸川カッパ市では、
地元サンバチームが乱舞していてビクーリ。
しばらく進みますと、
対岸は東京都葛飾区柴又。
寅さんシリーズ「男はつらいよ」や、
伊藤左千夫の「野菊の墓」、
細川たかしの歌謡曲等で有名な、
矢切の渡しが見えます。
古戦場の国府台を横目に、
松戸市から市川市を下りまして、
千葉街道・国道14号の市川橋を渡れば、
意外にもこの日初めての都道府県越境で東京都。
東京都江戸川区側の江戸川CR。
土手の上からこの善養寺の堂宇と、
影向の松の案内板が見えます。
小岩不動尊・善養寺の影向の松と言えば、
日本有数の松の名木として知られ、
「東の横綱」なんだそうですが、
すでに香川の「西の横綱」は枯死しており、
事実上の現存する日本一の松。
いつかはお参りしたいと思っていましたが、
JR小岩駅からは少し距離があるもので、
こちらも今まで課題にしていた、
いつかは行きたかった名所リストの古刹。
江戸川の土手を降りて、
善養寺の仁王門前にチャリを停めました。
仁王門の阿吽金剛力士の裏手には、
地元小岩出身の名横綱、
栃錦清隆の銅像と綱が安置されています。
うぉー!!さすがにスゲ〜わ、影向の松。
高さ8m、樹齢は600年以上、
ぶっとい幹が1.8mほどの高さで枝分かれし、
東西に31m、南北に28mと傘のように広がります。
根元には松と同じ名の影向の石があり、
その昔、不動堂に入った泥棒が足をかけたところ、
ぴったりとくっついて離れなくなったとか。
仁王門を入り、影向の松を見て、
右手が朱塗りの小岩不動尊を祀る不動堂。
正面は本尊・地蔵菩薩を祀る本堂です。
不動堂の正面側にこの不動門があり、
その門前に石碑がいくつか並びます。
大きな二基、向かって左は「傘の碑」。
栃錦の父親も小岩の蛇の目傘職人だったとか。
右は「天明三年浅間山噴火横死者供養碑」。
天明三年(1783)の信州・浅間山の大噴火。
この火砕流による犠牲者が利根川や江戸川に溢れ、
これをこの善養寺の無縁墓地に葬ったことから、
その十三回忌に当たる寛政七年(1795)に、
この供養碑が建立されました。
さて再び境内に戻り、
改めて影向の松を拝します。
やっぱり巨木っていいね!
境内では影向菊花大会が開催中で、
とっても華やかで賑やかな様子。
境内、栃錦=春日野親方ゆかりの、
子供相撲大会土俵の土で築かれた横綱山。
この山に登り見る、
影向の松がまた大迫力!!
数々の伝説のあるという善養寺ですが、
この大師堂や四国霊場お砂踏みなど、
見所も多いお寺さんです。
おっ!!この楷書で丁寧な、
「日露戦役記念碑」の揮毫は、
ワタシのような石碑ヲタなら、
チラ見してすぐに誰だか分かります。
ほーらやっぱりセゴドンの従弟、
大山巌元帥だ!!( ´_>` )