元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

習志野在住紀尾井町勤務の千葉都民。神社仏閣・歴史散歩、カメラ、ロードバイクが趣味。ラーメン(二郎京成大久保店ホーム)・蕎麦が好物。

星住山 地蔵院 善養寺 (小岩不動尊・影向のマツ・天明三年浅間山噴火横死者供養碑・栃錦清隆像 その二)  〜手賀沼・江戸川サイクリング(3)〜

宗派 真言宗豊山派
本尊 地蔵菩薩
133-0052 江戸川区東小岩2-24-2




→ 栃錦清隆像 その一




江戸川CR  江戸川カッパ市




さて当初の目的に戻りまして、
江戸川CRにやって来ました。
こちら側は千葉県流山市
対岸は埼玉県三郷市です。
これを東京湾河口まで下ります。
流山市内から松戸市内に入ると、
江戸川土手ではいろいろなイベントをやっていて、
案外賑やかです。江戸川カッパ市では、
地元サンバチームが乱舞していてビクーリ。



矢切の渡しの看板  矢切の渡し




しばらく進みますと、
対岸は東京都葛飾区柴又。
寅さんシリーズ「男はつらいよ」や、
伊藤左千夫の「野菊の墓」、
細川たかしの歌謡曲等で有名な、
矢切の渡しが見えます。




市川橋を渡り東京都へ




古戦場の国府台を横目に、
松戸市から市川市を下りまして、
千葉街道国道14号の市川橋を渡れば、
意外にもこの日初めての都道府県越境で東京都。





江戸川の土手から見る善養寺  影向の松の看板



東京都江戸川区側の江戸川CR。
土手の上からこの善養寺の堂宇と、
影向の松の案内板が見えます。
小岩不動尊・善養寺の影向の松と言えば、
日本有数の松の名木として知られ、
「東の横綱」なんだそうですが、
すでに香川の「西の横綱」は枯死しており、
事実上の現存する日本一の松。
いつかはお参りしたいと思っていましたが、
JR小岩駅からは少し距離があるもので、
こちらも今まで課題にしていた、
いつかは行きたかった名所リストの古刹。



仁王門



江戸川の土手を降りて、
善養寺の仁王門前にチャリを停めました。



栃錦像  栃錦の綱



仁王門の阿吽金剛力士の裏手には、
地元小岩出身の名横綱
栃錦清隆銅像と綱が安置されています。



影向のマツ  影向の石



うぉー!!さすがにスゲ〜わ、影向の松。
高さ8m、樹齢は600年以上、
ぶっとい幹が1.8mほどの高さで枝分かれし、
東西に31m、南北に28mと傘のように広がります。
根元には松と同じ名の影向の石があり、
その昔、不動堂に入った泥棒が足をかけたところ、
ぴったりとくっついて離れなくなったとか。



不動堂  本堂



仁王門を入り、影向の松を見て、
右手が朱塗りの小岩不動尊を祀る不動堂。
正面は本尊・地蔵菩薩を祀る本堂です。




不動門



不動堂の正面側にこの不動門があり、
その門前に石碑がいくつか並びます。



和傘の碑と天明三年浅間山噴火横死者供養碑  天明三年浅間山噴火横死者供養碑


大きな二基、向かって左は「傘の碑」。
栃錦の父親も小岩の蛇の目傘職人だったとか。
右は「天明三年浅間山噴火横死者供養碑」。
天明三年(1783)の信州・浅間山の大噴火。
この火砕流による犠牲者が利根川や江戸川に溢れ、
これをこの善養寺の無縁墓地に葬ったことから、
その十三回忌に当たる寛政七年(1795)に、
この供養碑が建立されました。



本堂前の影向のマツ  菊花大会の菊



さて再び境内に戻り、
改めて影向の松を拝します。
やっぱり巨木っていいね!



菊花大会の菊1  菊花大会の菊3



境内では影向菊花大会が開催中で、
とっても華やかで賑やかな様子。



横綱山  横綱山からみた影向のマツ



境内、栃錦春日野親方ゆかりの、
子供相撲大会土俵の土で築かれた横綱山。
この山に登り見る、
影向の松がまた大迫力!!



大師堂   四国八十八ヶ所お砂踏み



数々の伝説のあるという善養寺ですが、
この大師堂や四国霊場お砂踏みなど、
見所も多いお寺さんです。



日露戦役記念碑



おっ!!この楷書で丁寧な、
「日露戦役記念碑」の揮毫は、
ワタシのような石碑ヲタなら、
チラ見してすぐに誰だか分かります。
ほーらやっぱりセゴドンの従弟、
大山巌元帥だ!!( ´_>` )