東大寺 (金光明四天王護国之寺) 〜奈良の大仏〜

国指定史跡 東大寺旧境内
宗派 華厳宗 大本山
本尊 盧舎那仏
630-8587 奈良市司町406-1
公式サイト http://www.todaiji.or.jp/




→ 特別展「東大寺大仏 天平の至宝」東京国立博物館 その九
→ 特別展「奈良の古寺と仏像〜會津八一のうたにのせて〜」三井記念美術館 その二
→ 「東大寺」関連の記事





国宝 南大門



さてお次は東大寺デス。
まずは鹿と中国人観光客の群れを抜け、
正治元年(1199)再建の国宝・南大門。
礎石は創建当時(760頃)のもののようです。
平氏に焼き打ちされた大仏殿を、
重源が復興した最後を飾る、
シンボル的な役割だったようで、
ここにあの私の大好きな、
阿吽の金剛力士像が立ちはだかります。




国宝 金剛力士 阿形  国宝 金剛力士 吽形




運慶・快慶ら作、国宝・金剛力士立像。
治承四年(1180)の完成。
ガキの頃からこの仁王像が大好きで、
中学三年の美術の課題のオルゴール箱に、
この吽形を受験を忘れて彫ったほど。。。
でもこの金網は残念だなぁ。
もう少し見えやすい素材に替えてほしい。




中学時代に作成したオルゴール箱




東大寺ミュージアム  実物大の大仏の手




南大門を過ぎて左手、
東大寺総合文化センターにある、
東大寺ミュージアムは要するに宝物殿。
この大仏実物大の右手は、
六年前の「東大寺大仏 天平の至宝」で、
東博にも展示されていたものです。
現在の展示品はこちらのリンクをご覧ください。




→ 東大寺総合文化センター 公式ウェブサイト/東大寺ミュージアム 企画展・特別展のご案内




重文 中門  国宝 金堂(大仏殿)




さて、大仏殿の重文・廻廊の南側、
重文の中門は今は閉じられており、
南西の角の拝観入口より入場。
するとすぐに目に飛び込んでくるのは、
やはり世界最大級の、
木造建築ともいわれている、
国宝・東大寺金堂=大仏殿。
創建から二度にわたって焼失し、
再建の度に小さくなったそうですが、
現在のものは宝永五年(1708)のもの。




国宝 金銅八角燈籠




大仏殿の正面に立つ国宝・八角燈籠は、
高さ4.64mの金銅製燈籠で、
国内最大・最古の燈籠です。
こちらも「東大寺大仏 天平の至宝」で、
はるばる東京に来ました。
これは八世紀・奈良時代のものとか。




国宝 毘盧遮那仏座像 正面  国宝 毘盧遮那仏座像 左側より




大仏殿の中央に鎮座するのは当然ながら、
奈良の大仏こと、国宝・毘盧遮那仏坐像。
開眼は天平勝宝四年(752)ですが、
平安時代と戦国時代の、
二度の兵火により焼失しますが、
その度に復興し現在に至ります。
造立当初の部分は下半身の一部と台座のみで、
上半身は主に鎌倉時代から桃山時代にかけて、
頭部は江戸時代の修復。
台座を除く高さは14.98m。
ちなみに国宝・鎌倉大仏は11.39m。
十三世紀・鎌倉時代の、
創建当時とほぼ同じ姿で阿弥陀仏
大仏殿は津波で崩壊してありません。




重文 虚空蔵菩薩坐像  重文 如意輪観音坐像  




大仏の左右には、
江戸時代の大仏殿再建後に建立された、
高さ7mをゆうに超える
重文・虚空蔵菩薩坐像と、
重文・如意輪観音坐像。





左・広目天(右・多聞天)  持国天、増長天の頭部




この江戸時代復興期に、
四方に四天王立像を、
安置する計画だったようで、
北西、北東の隅には、、
広目天像と多聞天像はありますが、
南西、南東の置かれるはずだった、
持国天増長天は未完成のままで、
この頭部のみがあります。





大仏殿の柱  柱の穴くぐり




巨大な大仏殿の柱ですが、
北東の一本の柱に、
この穴が開いていて、
なぜ空いているのか謎なんだとか。
大仏様の鼻の穴と同じ大きさだそうで、
くぐると無病息災との俗説があり、
中国人観光客が列をなして、
大声を上げていました。




東大寺境内の鹿




さて大仏殿を後にしまして、
お次は戒壇堂を目指します。




戒壇堂の門  戒壇堂




天平勝宝六年(753)に来日した鑑真が、
聖武天皇に戒を授けた、
翌年に建立された戒壇堂。
現在のものは、
享保十七年(1732)の再建ですが、
お堂の中がとにかく凄いんです。。。




東大寺戒壇堂のパンフ




中央の多宝塔に多宝・釈迦如来の四方を囲む、
奈良時代塑像最高傑作の一つともされる、
国宝・塑造四天王立像がとにかく素晴らしい。。。




正倉院  正倉(校倉)外溝公開の案内



さて戒壇堂を出てから、
正倉院を遠目に見るつもりでしたが、
正倉(校倉)外溝公開は、
平日の10時から15時までと、
宮内庁の親方日の丸、塩対応。。。



隙間から見た正倉




案内に従って塀沿いに進み
北に80mも歩いて覗きみたものの、
このホント僅かな「正倉」でぽかーん。




講堂跡




再び、東大寺に戻り、
旧講堂後の礎石を眺めていたら、
いつもは餌を持っていない人間に、
全く無関心なはずの、
鹿たちが警戒している様子が分かります。
おそらく通常こんなところには、
人間はあまり来ないのか、
牡鹿は女鹿・子鹿の前に立ちふさがり、
「おっさん何の用ですの?」
と、いうオーラが出ています。
それでもかまわずズンズン進んだら、
群れが一斉に走り逃げ出す始末。。。
(-_-;)




重文 大湯屋  国宝 鐘楼




巨大な浴場である重文・大湯屋は、
鎌倉時代の建築で内部は非公開ですが、
重文の鉄湯船が現存しているそうです。
十三世紀・鎌倉時代
栄西建立の国宝・鐘楼と、
これに吊られている国宝・梵鐘は、
大仏開眼と同じ天平勝宝四年(752)の製作。
中世以前の梵鐘としては最大で、
「奈良次郎」とも呼ばれているとか。




国宝 二月堂  二月堂からの景色




さて「お水取り」で有名な国宝・二月堂。
旧暦二月に修二会が行われることから、
この名になったとか。
この二月堂は平重衡の兵火(1180)でも、
三好・松永の戦い(1567)でも焼け残ったのに、
なんと寛文七年(1667)の、
お水取りで燃えてしまい、
その二年後に再建されたものだそうです。
本尊の大観音・小観音はどちらも、
十一面観音像ですが絶対秘仏
しかし二月堂の上から見る景色は絶景です。




国宝 法華堂(三月堂)




東大寺の建築で、
最も古い国宝・法華堂。
東大寺創建以前にあった、
金鍾寺の遺構ともいわれ、
天平勝宝四年(752年)の、
東大寺山堺四至図」には、
すでに「羂索堂」とあるそうです。
こちらも旧暦三月に、
法華会が行われることから、
三月堂ともよばれています。
元々はは寄棟造りの天平期の正堂と、
鎌倉時代の礼堂が、
軒を接して建っていたものを、
鎌倉時代に礼堂を、
入母屋造りに改築して、
二棟をつないだものだそうです。



東大寺法華堂 国宝 不空羂索観音立像の写真  法華堂(三月堂)の内陣の写真  




センターの巨大な不空羂索観音
左右脇侍の帝釈天梵天
前に立ちふさがる阿吽の金剛力士
そして四方の四天王、後方の執金剛神と、
すべてが奈良時代の国宝と圧巻、必見です。