三宮神社 〜神戸事件發生地〜

祭神 湍津姫命
650-0021 神戸市中央区三宮町2-4-4






神戸市の最も賑やかな商業地域は、
三ノ宮駅」を中心としています。
都市名を冠する「神戸駅」もありますが、
それはかつて、隣接する新開地が、
最も繁華な地区であった戦前の頃の話で、
今では新幹線の新神戸駅も、
三ノ宮駅の北側にあります。
戦後の三宮地区の復興と、
商業地域の拡大、
そして市役所の移転により、
中心部が三宮に移動した経緯がありますが、
そもそもその三ノ宮駅に一番近い"宮"である、
名神大式内社、旧官幣中社は、
当然ながら「神戸」の語源ともなった、
こちらの大社、生田神社。




→ 生田神社





だったらなんで地名・駅名が、
「三宮」「三ノ宮」で、
「生田」じゃないのか素朴な疑問。。。






三宮神社





実はこの小さな三宮神社が、
その由来となっているのです。
こちらは生田神社の八柱の裔神を祀った、
生田裔神八社、一宮から八宮までの、
八社の中の三柱目の三宮で、
湍津姫命を祀ったもの。。。
つまり生田神社の境内外末社の一つなんです。
昭和六年(1931)まで「三ノ宮駅」は、
現在の「元町駅」の位置にあり、
この神社のすぐ近くにありました。
中心部も移動しましたが、
駅も移動したんですね。



大砲





三宮神社の鳥居の左には、
「史蹟 神戸事件発生地」の碑もあります。
明治元年(1868)この三宮神社の前で、
備前藩兵がその隊列を横切った、
フランス人水兵らを負傷させ交戦となり、
そのまま居留地予定地検分中の、
欧米諸国公使らに射撃した事件で、
堺事件と並び明治政府初期の、
代表的な外交問題となりました。
この境内の大砲の展示は、
それとほぼ同時代のものとして、
参考展示しているそうです。





拝殿




神社の創祀年代は不明ですが、
享保十七年(1732)銘の石鳥居と手水鉢、
寛延元年(1748)銘の石灯籠が現存しています。