鷲峰山 高台寿聖禅寺 (高台寺) 〜高台院 霊屋〜

国指定史跡 高台寺庭園
国指定名勝 高台寺庭園
宗派 臨済宗建仁寺派
本尊 釈迦如来
605-0825 京都市東山区高台寺下河原町526
公式サイト https://www.kodaiji.com/




さて知恩院を南門から出て、
円山公園を通過しまして、
高台院へと向かいます。



高台寺月真院  御陵衛士屯所跡




まず最初に辿り着いたのは、
高台院塔頭であるこの月真院。
慶応三年(1867)、
伊東甲子太郎を中心に、
新選組から離脱分離した、
御陵衛士の屯所跡です。
当初は五条橋東詰に、
その拠点を構えますが、
すぐにここに移転したことで、
高台寺党とも呼ばれました。
離脱分離からわずか九ヶ月、
油小路事件で伊東甲子太郎以下、
主要幹部が皆暗殺され、
御陵衛士は事実上解散となりますが、
わずかな活動期間ではあるものの、
ここにその名を留めています。





庫裏  方丈前庭




さて、本坊の高台寺
正式には「鷲峰山高台寿聖禅寺」といい、
豊臣秀吉正室である北政所ねねが、
秀吉の冥福を祈るため建立した寺院です。
寺号は北政所院号である、
高台院湖月尼」にちなみ、
釈迦如来を本尊とする、
臨済宗建仁寺派の寺院ですが、
実際は徳川家康が、
北政所を母と慕う武将の懐柔を図り、
彼女を手厚く扱った待遇の一つであり、
秀吉と北政所を祀る、
霊廟としての性格を持つ寺院です。



観月台と開山堂  開山堂



観月台とつながる開山堂は重文で、
入母屋造本瓦葺きの禅宗様の仏堂。
慶長十年(1605)の建築で、
元々は北政所の持仏堂だったもの。
中央奥に三江紹益、
右に北政所の兄の、
木下家定とその妻・雲照院、
左に高台寺の普請に尽力したという、
堀直政像を安置しています。
またこの堂の天井は秀吉の御座舟の天井と、
北政所の御所車の天井を用いているとか。 




霊屋(おたまや)  高台寺の紅葉


この開山堂の東方、
一段高くなった敷地に建つ、
霊屋(おたまや)も同じく、
慶長十年(1605)建築で重文デス。
内部の中央の閉じられた厨子には、
珍しい大随求菩薩像を祀り、
向かって右の厨子には豊臣秀吉坐像、
また左の厨子には、
片膝立の北政所像が安置されています。
秀吉は別に豊国廟に葬られていますが、
北政所はこの像の約2m地下に、
土葬で葬られているのだとか。




重文 傘亭  重文 時雨亭



重文の傘亭と時雨亭は、
土間廊下でつなかっています。
千利休の意匠によるもので、
伏見から移築した茶室のようです。
傘亭の天井は竹や丸木で放射状に組まれ、
まるで開いたカラカサのように見えます。




高台寺の紅葉  高台寺の竹林



庭園は小堀遠州作でそうですが、
庭と建物、寺域境内全体の印象は、
やはり女性的な繊細な美しさ。




圓徳院入口  圓徳院




さて、中央「ねねの道」を挟み、
西側にある塔頭は圓徳院。
北政所が晩年を過ごした住居で、
終焉の地という説もありますが、
北政所没後にお寺に改められました。
寺号は北政所の甥にあたる、
木下利房の院号「圓紱院」にちなみます。
伏見城北政所化粧御殿を、
移築して邸宅としたものですが、
建物は焼失してしまい、
現在のものは復元です。




圓徳院 南庭  圓徳院 北庭




しかしその庭園は、
当時の面影を残しているそうで、
南庭は女性的な「静」の印象。
北庭は化粧御殿の前庭を移築した、
石の多い男性的な「動」を感じさせる、
桃山時代の代表的な庭園です。




大国殿  三面大黒天




北庭から圓徳院を出ると、
大国殿と高台寺掌美術館の脇に出ます。
大国殿には秀吉の念持仏で、
出世のご利益があるという、
異形の三面大黒天が祀られています。
また高台寺掌美術館は、
秀吉ねね夫妻所縁の品々や、
禅の名宝が展示されています。




霊山観音




霊山観音を遠くに眺めつつ、
高台寺から京都霊山護国神社を目指します。