処女塚古墳 〜小山田高家碑・田辺福麻呂歌碑〜

国指定史跡 処女塚古墳
658-0044 神戸市東灘区御影塚町2-10





処女塚古墳  北東から古墳を望む





チーチーパッパチーパッパで、
車で近くを通る度に、
車窓から見かけておりました、
いつかは見学したかった、
こちらの処女塚(おとめづか)古墳。
四世紀前半の前方後方墳で、
大正十一年(1922)に、
国の史跡に指定されていますが、
その時すでに墳丘の一部は、
ご覧の通り道路に削られていたそうです。
主に山陰系土器が出土していて、
石屋川流域に存在する、
郡家遺跡集落の一部なのだそうですが、
この古墳には万葉集や大和物語にも登場する、
悲しい悲恋伝説があるんです。




案内板




菟原処女の伝説は、
奈良時代から語り継がれるもので、
二人の男から求婚された娘が自ら命を絶ち、
男達が後を追って死んだというお話です。
この処女塚は命を絶った娘の墓で、
灘区都通にある西求女塚、
灘区住吉宮町にある東求女塚が、
二人の求婚者の墓と伝わりますが、
実はこの三つの古墳の築造時期は、
それぞれ異なっているので、
史実ではないものと思われます。



整備された後方墳とその上からみた前方墳



前も後ろも方墳の、
前方後方墳なんですが、
墳丘の上部は平らに整備されてしまい、
ご丁寧に階段まで設けられています。




小山田高家碑・田辺福麻呂歌碑




また古墳の際には、
湊川の戦いに敗れた、
新田義貞を逃す為、
この塚の上で討ち死にしたという、
小山田高家の石碑と、
万葉の歌人田辺福麻呂が、
この処女塚に立ち寄った際の現況と、
その伝説を歌った歌碑が、
二つ並んで建っています。




古の 小竹田壮士の 妻問ひし
菟原処女の 奥つ城ぞこれ