映画「沈黙 −サイレンス−」

公式サイト http://chinmoku.jp/





沈黙 -サイレンス-






→ 「沈黙」(新潮文庫)




先日二十数年ぶりに原作を読み直し、
昨日公開となったばかりの、
映画「沈黙 −サイレンス−」を、
劇場で鑑賞して参りました。







原作は読み手の主観により感想が変化する、
戦後日本文学の金字塔とも呼ばれる名著です。
私も若かりし日の感想とは全く異なり、
先日驚いたばかりです。
制作秘話のインタビューで、
監督マーティン・スコセッシは、
徹底的に原作を忠実に表現したそうですが、
それはやはりあくまで、
スコセッシの主観から見た原作であり、
多くの異教徒である日本人、
またはキリスト教徒である日本人から見ても、
「原作に忠実」と感じることは難しいと思います。
(まあそれはこのような、
宗教、言語、民族の違いはなくとも、
小説の映画化にはいつもついて回る問題ですが。。。)
それからアメリカでは、
字幕が多ければ多いほど、
商業的な成功が難しいそうで、
今までも多くの近代日本を扱った作品で、
英語を流暢に扱う登場人物に違和感を感じますが、
今回もやはり同様で残念でした。
スコセッシの「最後の誘惑」でも、
英語を話すイエス・キリストに幻滅しましたが、
17世紀の日本の農民や武士・奉行が、
片言たりともあのように英語を操る訳もなく、
主人公もポルトガル語を話すべきです。
内面で主人公に語りかけるキリストの声も、
主人公本人の声が望ましかった。
それから日本でのロケは難しかったそうで、
ほとんどの撮影が台湾で行われたそうですが、
それはやはり日本人から見れば、
あれは温帯ではなく亜熱帯の景色であり、
どうしても違和感を感じます。
要するにこの映画は、
スコセッシは日本のキリスト教徒に捧げるとありますが、
日本人向けに作られたものではありません。
ラストシーンの「蛇足」も大変残念でした。
やはりこれは「最後の誘惑」に批判的だった、
西洋のキリスト教徒に対する、
スコセッシの返答なのでしょう。
スコセッシは大好きな監督の一人ですが、
今回の作品は日本人の一人としては、
残念ながらあまり評価は高く付けることは出来ません。
・・・文句ばかりでどうもすみません。