西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

大久保利通墓

107-0062 港区南青山2-32-2 青山霊園1種イ2区15・17側1番




→ 贈右大臣大久保公哀悼碑
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午後に南青山でアポがあり、
まだ少し時間があったもので、
毎日毎日、清水谷公園の、
【終焉の地】【哀悼碑】前を通過している、
大久保一蔵どんのお墓をお参りしました。
掃苔】について何度か書いておりますが、
そもそもワタシがこの【墓巡礼】に、
興味を持ったキッカケは、
二十年近く前のこと、
やはり南青山で時間が余り、
この青山霊園を散策してからのこと。
その際にも最初にお参りした、
ビッグネームはコチラでしたので、
何とも感慨深いお墓なのです。




顕彰碑正面  顕彰碑左側面




広大な墓域入口の手前に、
この青銅の巨大な顕彰碑が建っています。
明治維新の元勲の墓地に、
この手の顕彰碑はお馴染みですが、
やはり功績の大きさに比例してか、
他では見ない規模のもの。
四面に漢文でビッシリと、
その生涯の足跡が記されています。
(あれ?碑の下に牡丹が咲いてる!)




大久保利通墓所入口  崩落した石灯籠




顕彰碑の正面左手に鳥居があり、
ここからが墓地の領域でしょうか。
東日本大震災の被害なのか、
鳥居の左右の石灯籠は崩落しています。
また十六年前のちょうどこの季節、
歴史に興味があるという新入社員を連れて、
ここを訪れた際に、
この鳥居の脇で、
その新入社員は、
子育て中で気の荒れたカラスに、
鋭い爪で頭を掴まれてしまいました。
その新入社員こそが、
後のタヤパンでございます。





東京都教育委員会の案内板




この墓は東京都指定旧跡ですが
この東京都教育委員会の案内板は、
大久保利通に生涯について、
簡単に触れるだけで、
墓そのものの説明はありません。



大久保利通墓地




石壇の上に築かれた大久保利通墓です。
やはり西郷隆盛の鹿児島のソレと比較すると、
裏寂しい雰囲気を感じさせます。



大久保利通墓石 亀



中央、カメの上に乗る、
”亀趺”形式の巨大な墓石。
「贈右大臣正二位大久保公墓」。




明治三十四年(1901)贈従一位碑




またその右手には明治三十四年(1901)に、
追贈された「従一位」を記した碑があります。




従者・中村太郎と馬の墓




京都霊山護国神社の、
坂本龍馬中岡慎太郎墓の左下にも、
近江屋で二人の暗殺直前に、
背後から斬られて亡くなった、
用心棒兼世話役の、
元力士・山田藤吉の墓がありますが、
こちらの左下にも、
大久保暗殺直前に斬られた、
従者・中村太郎と、
馬車の馬の墓があります。



→ 坂本龍馬・中岡慎太郎墓





顕彰碑の下の牡丹