「若冲」(文春文庫)



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若冲 (文春文庫)

若冲 (文春文庫)




今から11年前、
東京国立博物館で開催された、
「プライスコレクション 『若冲と江戸絵画』展」
で、伊藤若冲の作品を観て、
あまりの迫力に度肝を抜かれました。。。
勿論、それ以前にも、
若冲の名は知ってはおりましたが、
国宝指定の作品もない、
「変わり種」絵師だと思っていたのです。
当時の「プライスコレクション」は、
何の入場制限もなく、
ゆったりと作品が堪能出来ましたが、
昨年、東京都美術館で行われた特別展は、
生誕三百年ということもあって、
何と5時間以上待ちの大行列とかで、
すっかり怖気付いてしまい、
ついに見逃してしました。
今まさに伊藤若冲は没後二百十余年にして、
日本一の人気絵師の一人となったのです。




さて、現在、
この伊藤若冲の生涯で、
確実に史実であろうことは、
正徳六年(1716)に京・錦市場の、
青物問屋の長男として生まれ、
23歳で四代目を襲名するも、
商売にはあまり熱心ではなく、
酒も嗜まず、妻も娶らずに、
40歳で隠居して絵師として自立するも、
近年の研究では、
その後、錦市場存続危機の為、
町年寄を勤めた記録が、
新たに発見されたようですが、
解決後は再び作画三昧に戻り、
天明の大火以降は、
石峯寺に義妹と隠遁し、
85歳の長寿を全うしたということくらい。



ところが二年前に澤田瞳子さんという、
新鋭の女性作家が「若冲」を描き、
直木賞候補に上がったと聞き、
ず っとこの文庫化を待っておりました。




巻末の上田秀人氏の解説にもありますが、
上記の史実だけでは、
「人物辞典」になってしまいますので、
作家は歴史的史実に、
その想像を付け加えて、
肉付けをする作業をします。
この作品では、
生涯妻を娶らなかったと伝わる若冲に、
若い頃、自ら命を絶った妻がいたと想定し、
隠居後、一緒に暮らした義妹を、
年の離れた妾腹の妹として、
かなり早い段階から一緒に暮らし、
このお志乃を物語の主な視点としています。
子供とも伝わる伊藤若演を、
愚直な弟子に設定し、
また市川君圭を、
亡くなった妻の弟にして、
若冲を姉の仇と憎み、
復讐で贋作を描き続ける役割りにしました。
当時の複雑な時代背景を、
池大雅円山応挙
与謝蕪村、谷文晁などを登場させて、
錦市場の存続という、
政治的なエピソードを織り込むなど、
ストーリーの組み方が唸るような巧妙さ。
また一人凄い作家が出て来たものです。
澤田瞳子さんはまだ今年40歳とか。
これからの活躍がとても楽しみです。



紫陽花双鶏図



さて、話は少し脱線しますが、
近年、ティラノサウルスのDNAは、
ニワトリのそれにとても近く、
99.9%が一致するいう学説があります。
しかしそんな事は若冲は二百年以上も前に、
理解していたのかもしれません。
彼の目は鶏を「龍虎」と同じような題材として、
かくも猛々しく捉えているのです。




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さーせん。m(_ _)m