川越 日枝神社 〜仙波日枝神社古墳〜

祭神 大山咋神
350-0036 川越市小仙波町1-4-1




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日枝神社の看板  仙波日枝神社古墳




喜多院の山門の東に、
この「日枝神社」の看板がありました。
どうやら古墳らしき墳丘も見えます。
これがおそらく先ほどの、
喜多院多宝塔が元々あった場所でしょう。
さて天台宗の寺院にとって、
比叡山の麓の日吉大社は特別の存在で、
その鎮守として日枝神社が、
境内に祀られることは 、
けして珍しくありませんが、
「東京都千代田区赤坂に、
ある日枝神社の本社です」
は、ホンマかいなそうかいな??
(;゚ε゚´)a
そもそも赤坂は港区で、
山王日枝神社の所在地は、
千代田区永田町が正解ですが、
「皇城の鎮」である、
元准勅祭神社の山王日枝神社が、
日吉大社から直接の勧請ではなく
この喜多院の元境内社の、
勧請って、信じられない。
しかし山王日枝神社のHPにも、
下記の引用の記述があります。

当社は武蔵野開拓の祖神、
江戸の郷の守護神として、
江戸氏が山王宮を祀り、
さらに文明10年(1478)
太田道灌公が江戸の地を相して
築城するにあたり、
鎮護の神として川越山王社を勧請し、
神威赫赫として江戸の町の
繁栄の礎を築きました。

仙波 日枝神社  旧「国宝」の社号標石



そもそもは慈覚大師円仁が、
天長七年(830)に創建した際に、
その鎮守として貞観二年(860)に、
日吉大社を勧請したものとされるこちら。
一ノ鳥居の右の社号標石に、
「國寶」とありますが、
それは旧国宝の分類で、本殿が、
国の重要文化財に指定されています。




拝殿




拝殿は先のものが老朽化し、
近年建て替えられたばかりのもの。



重文の本殿




その重文の本殿は、
朱塗りの三間社流造で銅板葺。
とても小さな小祠ですが、
なかなか立派な風格があります。




前方後円墳の一部?



社殿の西、前方後円墳だったという、
仙波日枝神社古墳は、
掘削されたような跡の上に、
石碑がいくつか立ち並び、
古墳としての面影はありません。