小松原山 鏡忍寺 〜三尊の墓・波の伊八 その六〜

宗派 日蓮宗 別格本山(霊蹟寺院
本尊 大曼荼羅
(本仏 久遠実成本師釈迦如来)
296-0044 鴨川市広場1413





波の伊八 その → 



総門




鴨川市内を走っていると、
所々にこちらのお寺の案内があり、
ちょっと寄り道してみました。
日蓮四大法難」の一つ、
「小松原法難」は、
弘長三年(1263)、
伊豆流罪を許された日蓮が、
文永元年(1264)、
病床にあった母を見舞う為に、
故郷・小湊に帰郷する途中、
念仏批判を受けて敵対心を持っていた、
東条景信らに襲撃された事件で、
弟子の鏡忍房日暁と、
信者の領主・工藤吉隆が殺害され、
日蓮自身も額を斬られて、
左手を骨折するなどの重傷を負いました。
いやワタシ日蓮が故郷に到着の寸前という、
漠然とした知識はありましたが、
小湊の北側だと思い込んでおりました。
小湊の南側なんですね。。。
そうか、当時は鎌倉から房総半島へは、
海を渡ったのか...。
南・上総と北・下総の順番通り。
鎌倉から始まる坂東三十三箇所霊場も、
館山で結願して巡礼者は船で、
鎌倉へと戻ったそうです。





境内図  総門前の案内板




弘安四年(1281)、
その小松原法難の地に、
殺された工藤吉隆の子の日隆が、
日蓮の命によって二人の菩提を弔う為、
建立されたのがこの鏡忍寺で、
そもそもは妙隆山と号しました。
後に鏡忍坊の名に因んで、
小松原山鏡忍寺と改められます。





仁王門





二階には十界曼荼羅を祀り、
瓦屋根の下に長く飛び出た垂木、
尾垂木等を持つ三間一戸様式の仁王門。





金剛力士 吽形  金剛力士 阿形





阿吽金剛力士は、あの昭和の名横綱
双葉山をモデルにしたものだそうですから、
あまり歴史は深くありません。





鐘楼堂と三十番神堂




鐘楼堂の右隣は三十番神堂。
三十番神は一ヶ月三十日間、
毎日交代で法華経信者を守護する神で、
このお堂は昭和初期建立のものとか。




降神槙  降神槙





樹齢千年とも千三百年ともされる、
この御神木の降神槙は、
法難の際に、樹上に異様な光と共に、
鬼子母神が出現して、
日蓮に再び刀を降り下ろそうとした、
東条景信を睨みつけて竦ませ、
落馬して逃げ出したので、
難を逃れたということです。
ん?、
おい、てか、鬼子母神さん、
遅せーよ。。。
日暁と工藤吉隆が、
襲われる前に出て来なさいって。





法難堂  三尊の墓





法難堂は鏡忍坊日暁が亡くなった場所で、
そもそもは墓標として松が植えられていましたが、
明治三十五年(1902)の台風で倒れてしまい、
その木で聖人の木像を刻み祀ったものです。
現在のお堂は法難七百五十年記念報恩で、
改築されたものです。
三尊の墓は、開祖・日蓮
二祖・鏡忍坊日暁、
三祖・妙隆院日玉のもの。
ん?、工藤吉隆の子の日隆はどこ??
はぁ、妙隆院日玉って、
工藤吉隆のことなんやねんな。




祖師堂  




祖師堂は弘安四年その日隆が建立しますが、
明和二年(1765)の再建中に地震で倒壊。
明和六年(1769)にも大嵐で大破し、
明和九年(1772)に再建。
現在のこの建物は平成十九年(2007)の再建です。




波の伊八の彫刻  祖師堂内の波の伊八の彫刻




外陣欄間を飾る彫刻は、
旧祖師堂のもので、
これも初代「波の伊八」こと、
武志伊八朗信由の作品です。



鬼子母神堂  鬼子母神堂内



日蓮を救った鬼子母神を祀る鬼子母神堂。
江戸時代初期の建立だそうですが、
向拝の龍などの彫刻は五代目伊八の、
高石信月の銘があるとか。




清正公堂  清正公堂内




法華経信者だった、
加藤清正を祀る清正公堂は、
江戸時代末期の建立。
残念ながら清正公像は御簾の中でした。




本堂(仏殿)  本堂内




そして最後に本堂である仏殿は、
江戸時代末期から、
明治初期の頃の建立とされています。
中央に日蓮像が祀られていました。
この欄間の彫刻は二代目伊八・高石信常とか。




鴨川シーワールド





さて海岸線に戻りまして、
再び北上を開始します。
おっさん二人のチャリの旅。
当然、鴨川シーワールドはスルーです。





お祭り




途中、漁師町でお祭りに遭遇しました。
道路上に掲げられた、
日の丸と旭日旗が凄い迫力です。





山車  神輿と山車





お祭りに参加している男衆が、
お揃いの法被姿でもなく、
パジャマのようなタボシャツ上下姿なのは、
この地方独特の風習なんでしょうか。。。。