【秩父第七番】青苔山 法長寺

宗派 曹洞宗
本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 六道を 兼ねて巡りて 拝むべし 又後の世を 聞くも牛伏
368-0072 秩父郡横瀬町横瀬1508




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お次は来た道を戻りまして、
先ほど素通りしました、
「第七番入口」に戻るつもりが、
道を間違えてしまったようで、
通り過ぎてしまいました。




法長寺下の石段




しかしどうやら表参道はこちら側のようなので、
ここにチャリを二台停めて石段を上りました。




左右非対称の唐破風の本堂




平賀源内設計という入母屋造の本堂は、
正面柱間十間・奥行九間で、
秩父札所中最大とのこと。
しかし唐破風が中央ではなく、
左に偏った側にあって、
左右非対称なのでとても印象的です。




牛伏堂由来の石像




元々札所だったのは、
焼失してしまった牛伏観音堂で、
この牛の像は牛伏堂由来の石像です。
別当寺だったこの法長寺が引き継ぎました。




今は昔、天慶三年(940)の、
天慶の乱に参戦した、
花薗左衛門督長臣某は、
ここ秩父へと追い詰められてな、
命を落としてしまったんじゃ。
そこには一人の僧侶がの、
観音様を祀り隠棲していた場所での、
僧侶は長臣の遺骸を埋め、
塚を築いたんじゃと。
それからしばらくしてのう、
長臣の妻と子がな、
その塚をお参りしたそうじゃ。
やがてその妻子の家に、
子牛が生まれてな、
子牛をこの塚の前に連れて行くと、
なんと子牛は膝を折って伏せ、
ポロポロと涙を流しながら、
人間の言葉でこう言ったそうじゃ。
「わしは長臣の生まれ変わりで、
悪行の報いを受けて、
牛になってしまったので、
おぬしら母子ともに出家をして、
この観音様を守り、
わしを供養してくれんかのぅ...」
すぐに妻と子は尼・僧侶となって、
この牛伏観音堂を守ったんだそうじゃ。



で、その後牛はどうなったんじゃろ??



第7番朱印