宗派 臨済宗南禅寺派
本尊 聖観世音菩薩
ご詠歌 老いの身に 苦しきものは 野坂寺 いま思い知れ 後の世の道
368-0033 秩父市野坂2-12-25
さて秩父巡礼二日目の朝です。
今日は地理的に札所の多くが、
ほぼ市街地中心になりますので
昨日の初日と同様に、
道の駅ちちぶに車を停めました。
まずは今日もちちぶの水を、
自転車用ボトルに詰めます。
さて朝九時半に巡礼再開です。
国道140号を三峰口方面へ進み、
西武線の高架の手前を左折して、
路地に入り突当たって右折して、
高架をくぐって左折すると、
第十二番・野坂寺に到着しました。
地元のちびっ子を集めて、
何かイベントを行っているようで、
小さなお子さんを連れた、
若いお母さん方の姿が目立ちました。
享保年間(1716-1735)建立の、
この左右花頭窓の、
楼門形式の山門は、
実は仁王門ではなくて、
左右には閻魔大王ら、
十王が祀られているので、
十王門と呼ばれています。
十王門の中には、
この三面のあづかり観音や、
十牛観音が安置されていますが、
これは檀家の故・高橋敬秀氏が、
自分で彫刻したものを寄贈したもの。
この十三尊仏像も、
「秩父の農村婦人の姿」も、
すべて高橋敬秀氏の作品です。
鉄工所を経営?、
勤務?していたという高橋敬秀氏は、
これらの木造の仏像の他にも、
この十王門の二階の内側に、
こんな鉄パイプの、
観音・阿弥陀・不動の、
三仏も寄贈しています。
本堂は明治三十九年(1906)に、
火災に遭って焼失し、
昭和四十九年(1974)に、
再建された新しいものですが、
焼失前の姿を再現したものです。
本尊は秩父霊場では珍しく、
大きな1.56mと、
大きな聖観音立像で、
聖徳太子作との伝承もあるとか。
さて昨日からずっと気になっていた、
これまでほぼすべての札所で見かけた、
この葵の紋のある石灯籠ですが、
私は綱吉の母、桂昌院あたりが、
秩父札所に寄贈したものかと思っていたら、
よくよく刻まれた文字を読むと、
全国の大名が亡くなった将軍の為に、
墓前に寄進したもので、
元々は芝増上寺内の、
徳川霊廟にあったもの。
戦争中、空襲に遭って、
戦後に徳川家霊廟は、
改葬して一ヶ所にまとめられたので、
その跡地を取得したプリンスホテルは、
その石灯篭を地元の所沢に運びますが、
西武球場建設時に処分されて、
配布されたものなんだそうです。
要するに秩父三十四ヶ所霊場とは、
全く縁もゆかりもない代物です。
今日はここから。
— ぞう@千葉県に山はない。 (@zou059) 2017年8月26日
札所 12番 野坂寺。 pic.twitter.com/d68u7yyzHZ