宗派 曹洞宗
本尊 聖観世音菩薩
ご詠歌 深山路を かき分け尋ね 行きみれば 鷲の岩谷に ひびく滝つ瀬
368-0111 秩父郡小鹿野町飯田観音2211
昼食を食べた観音茶屋の先に、
水子供養の地蔵がずらりと、
山あいに見えたもので、
これが観音院かと思いきや、
これは地蔵寺という別の寺でした。
地蔵寺からトンネルを越えて、
ようやく第三十一番・観音院に着きました。
仁王門は八本の柱の上に、
切妻屋根が乗せただけですが、
左右にかなり巨大な、
石造金剛力士がおわします。
身長は台座を含めれば4m超で、
日本最大級を謳っています。
しかし下腹部はかなりメタボです。
「三十一番入口」の石標は、
渋沢栄一の伯父で書の師、
渋沢誠室こと渋沢宗助の書とか。
で、で...、
な、なんと296段の、
急な石段が現れた。
→ のぼる
→ にげる
→ しんだふり
はいはい、ゾウ、
のぼりましょー!!
どうにか高低差53mの、
石段を上りきると、
まず目の前にあるのがこの鐘楼。
「鐘の撞き方」として、
来た時に心をこめて静かに撞きが合掌し、
けして帰りには撞かないようにします
と、あるけど、
昔そんな映画のコピーなかったっけ?
「けして帰りには撞かないで下さい...」
みたいな...。
実は納経所の来客センサー代わりぢゃね?
そして振り返ると、
「観法法印即身仏墓
明治十七年没 八十七才」
て、あるんだけど、
そんな時代になってまで、
即身仏やっていたの?
で、肝心の即身仏はどこ?
三方を高い岩壁に囲まれた本堂は、
昭和四十七年(1972)の
鉄筋コンクリート製。
本尊はこちらも行基作と伝わりますが、
やはり天慶三年(940)の天慶の乱で、
行方不明になったものを、
鎌倉幕府御家人の畠山重忠が発見し、
堂宇を建立したのがこの寺の創建とか。
本堂の左奥の岩壁には、
今やチョロチョロとした水量ですが、
清浄の滝と名付けられ、
修験道の行者の水垢離が行われていました。
その右には不動明王が祀られています。
清浄の滝の手前の岩壁に、
この「磨崖仏 」の案内があり、
よく岩肌を見ると、
無数に如来が彫られています。
これはどこぞの弘法大師空海が、
一夜で爪で彫ったとされ、
「爪彫り千体仏」とも、
「鷲窟磨崖仏」とも呼ばれています。
この巨大な6mの宝篋印塔は、
慶応二年(1866)の造立だそうです。
さて、こちらには、
元々東西に二つの、
奥之院があったそうで、
現在、西奥之院は、
岩壁崩落の為、通行禁止。
また東奥之院に行けば、
かなりの時間がかかるそうで、
やはり今回は諦めました。
札所 31番 観音院。
— ぞう@千葉県に山はない。 (@zou059) 2017年8月27日
石段を何段、登った( -_・)?だ pic.twitter.com/3cqi4tm9f6