【関東第二番】大雄山 最乗寺 道了尊 (清瀧不動尊)

宗派 曹洞宗
本尊 釈迦三尊
250-0127 南足柄市大雄町1157
公式サイト http://ashigara-web.sakura.ne.jp/saijyouji/










休日出勤恒例のTokyo Nobody  山王パークビル





さて、毎度お馴染みの、
早朝休日出勤ですが、
今日はコモエスタ園の今年二回目。
コモエスタ園の後には、
毎回タヤパンの車で二人、
遠征をするのが恒例になりましたが、
これになぜか去年から、
「関東三十六不動霊場
が、結びついておりまして、
さてさて今回はどこに行こう。
時刻は午前十時を過ぎたばかり。
とりま最南端、最西端の第二番、
大雄山最乗寺を目指しました。





大井松田手前で見えた富士山




東名自動車道、
大井松田で降りる手前に、
箱根の山々越しに富士山が見えて、
テンションアゲアゲです。
さて目指す大雄山ですが、
正直、現代ではあまり、
メジャーではありませんが、
昔はそのお参りの為に、
東海道線小田原駅から、
大雄山鉄道*1が、
敷かれるほどに栄えたビッグネーム。
應永元年(1394)曹洞宗通幻派の、
東国の拠点として、
通幻寂霊門下の了庵慧明によって開山。
その弟子であった妙覚道了は、
五百人力の怪力により創建に助力。
應永十八年(1411)了庵慧明が亡くなると、
五大誓願文を唱え、
寺門守護と衆生救済を誓って、
天狗に姿を変えて、
山中に身を隠されたとか。
以後諸願成就の道了大薩埵と称され、
絶大な信仰を尊崇をあつめ、
十一面観世音菩薩の御化身、
道了尊とされて、
各地で講が結成され、
江戸の両国等で出開帳が行われました。
しかし実は私も初めてのお参りです。





参堂の石橋  三門





鬱蒼とした森林にある参道。
さすがは天狗の御山といった雰囲気。
何の説明もありませんが、
また建立されさほど年数を経ていない、
三門らしき楼門をくぐります。




鬱蒼しした参道  大雄山最乗寺全景





進むごとにさらに鬱蒼とする参道。
途中「大雄山最乗寺全景」を眺めましたが、
さほど広くはないだろうという印象。




参道を進む  石灯籠





だらだらと続く石段を上り、
右折してこの石灯篭の間の先に、
瑠璃門らしき姿が見えます。




瑠璃門  書院




この瑠璃門をくぐると、
正面に見えたのが、
本堂かと思いましたが、
これは書院でした。
おそらく昔の寺務所にあたる建物ですが、
現在は瑠璃門をくぐって右手にある、
白雲閣が、総受付を兼ねる、
寺務所であり庫裏のよう。




総受付・白雲閣  瑠璃門をくぐり左手を望む





この総受付・白雲閣で、
先に御朱印を頂戴しました。
小学生の遠足らしき集団が、
ちょうどお弁当の時間で、
閑静なお寺には似つかわしくない歓声が、
あちらこちらに響いていました。
さて白雲閣から正面に見える、
僧堂方面へ境内を進みます。




本堂  本堂入口





書院の左隣に建っていたのが本堂でした。
昭和二十九年(1955)の再建ですが、
あの築地本願寺や、
東京都慰霊堂を手がけた、
伊東忠太氏の設計です。





本堂内  本尊・釈迦三尊(文殊菩薩・普賢菩薩)





写真撮影禁止の案内がなかったもので、
本堂内も失礼致します。
こちらのお寺としてのご本尊は、
この釈迦牟尼仏に、
脇侍に文殊菩薩普賢菩薩が祀られた、
所謂、釈迦三尊像






僧堂  二番目に大きい和合下駄





僧堂にも単体で文殊菩薩を祀られていて、
ここで修行僧が日夜、坐禅弁道に励みます。
この僧堂の左の碧楽門を出ると、
山内で二番目に大きいという、
和合下駄が祀られていました。
要するに天狗の高下駄ですが、
下駄が左右一対揃ってこそ、
役割をなすことから、
夫婦和合の信仰の対象とされています。




開山堂




再び本堂方面に戻り、
本堂の左手が、
開祖・了庵慧明禅師尊像や、
歴代住持霊牌を祀る開山堂。
昭和三十六年(1961)再建ですが、
本堂と同じ昭和の総檜造りの、
落ち着いた佇まい。




鐘楼  鐘楼の彫刻




開山堂の更に左に、
昭和の梵鐘を吊るす、
鐘楼があります。
一見、あまり、
派手ではありませんが、
その彫刻はなかなかのもの。




鐘鼓楼  金剛水堂




鐘楼の斜向かいに、
この鐘鼓楼があるのは、
とても珍しくはないでしょうか?
通常、鐘楼・鼓楼の一対や、
鐘鼓楼が一つはあっても、
鐘楼と鐘鼓楼の二つがある、
伽藍は初めてみました。
この鐘鼓楼の隣にあるのが金剛水堂。
創建時、五百人力の妙覚道了が、
自ら井戸を掘ると、
土中から鉄印が発掘されたとか。
これがこのお寺の重宝の、
御金印となりました。
(あれ?、鉄が金になぜ変わる??)




金剛水





またこの湧出した霊泉は、
金剛水と呼ばれ飲む者の、
諸病を癒していただけるとか。
ありがたく頂戴いたします。
これでおそらく肝数値も、
不整脈も完治することでしょう。




御供橋・圓通橋




さてこの御供橋・圓通橋の先、
結界門からは道了大薩埵の浄域です。
中央に御供橋、
両脇に圓通橋が並行していますが、
御供橋は白装束の修行僧が、
道了尊へのお供えをする時のみに、
使用する橋で、
普段は通行する事が、
できないようになっています。
結界は高野山の奥之院、
御廟の橋を思い出しました。




結界門の左右の天狗  結界門の左右の天狗



結界門の左右の大小天狗にご挨拶。
スンマソン、ちょっとだけお邪魔します。




三面殿  三面大黒天(箱根明神・矢倉明神・飯沢明神)




浄域内のこの三面殿には、
豊臣秀吉も崇拝していたという、
三面大黒天が祀られていました。
通常、三面大黒は、
大黒天、毘沙門天、弁財天の三面ですが、
こちらは相模国バージョンなのか、
箱根神社の箱根明神、
足柄神社の矢倉明神
南足柄神社の飯沢明神の、
三明神という解釈とか。





奥の院入口  奥の院を目指す





タヤパン、案内図を見る限り、
奥の院はそんなに遠くないんぢゃね?
しかし我々は地図の「≈」を見逃していたのです。




え?まだ先が...  奥の院への石段350段余り





そろそろ到着かと思ったら、
右折すると頂上が霞んで見えないほどの、
長い石段が現れました。
奥の院への石段は、
三百五十段余りとか。



奥の院から石段下を望む




どうもスンマソン。
天狗様の御山をなめておりました。





奥の院  拝殿・本殿形式




汗だくでヘロへロで、
ようやくトウチャコした奥の院
道了大薩埵の本地仏は、
意外なことに不動明王ではなく、
十一面観世音菩薩だそうで、
これを祀ったお堂ですが、
まるで神社のように、
拝殿・本殿形式の建物。





リフト  リフトの駅




奥の院の裏手から、
ぐるりと彗春谷という、
鬱蒼とした山道を降り、
御真殿方面へと向かう途中、
このリフトカーの線路と駅を発見。
八名乗り「最乗寺関係者専用」
だ、そうだけど、
お年寄りや歩行困難な方の為の、
ものなんでしょうか。
まさか修行僧が乗っていませんよねぇ。
もし修行僧が乗っているなら、
道了尊もお嘆きのことでしょう。





御真殿(妙覚宝殿)




さて我々は奥の院から下りて、
彗春谷脇を抜け辿り着きましたが、
結界門をくぐりすぐに右に進むと、
七十七段の石段の上に、
この御真殿(妙覚宝殿)があります。
やはり妙覚道了大薩埵をご本尊金祀ったもので、
まるで金剛力士のように、
阿吽の大天狗・小天狗が、
両脇侍として祀られています。
こちらもやはり拝殿・本殿形式で、
本殿の本尊は御鏡でした。
真言は十一面観音の、
「オン マカ キャロニキャ ソワカ
を、唱えるよう掲示されています。




奉納された大小の高下駄  最大の和合下駄




御真殿の脇に奉納された、
大小の高下駄が並びます。
そして現在、最大のモノがこちらデス。



清瀧不動堂




さて、ワタシはこちらが天狗のお寺で、
その本地仏不動明王であると勘違いしており、
この関東三十六不動の第二番も、
その不動尊であると思っていましたが
あくまで天狗と化した道了尊の本地仏は、
十一面観音であり不動明王とは無関係。
この清瀧不動堂に祀られた清瀧不動は、
この寺に滾々と流れる湧水や滝、
水神としての不動信仰であったようです。
本尊はその名も清瀧不動明王
御姿は通常の不動明王そのものですが、
倶利伽羅不動と似た信仰の対象かと。
脇侍に天祐不動明王愛染明王を祀ります。




清瀧不動尊堂の前の洞  関東三六不動納経所




清瀧不動尊堂の前の小祠に、
奉納されたものか、
不動明王像がいくつか並び、
「関東三六不動納経所」
の札が掲げられておりますが、
今は機能しておりません。





多宝塔






山内最古と思われる建築物は、
方形層上円形木造二重塔の、
この多宝塔で文久三年(1863)の建立。
もちろん多宝如来を奉安。




多宝塔入口  多宝如来





多宝如来については、
度々このブログで触れていますが、
法華経で、釈迦が説法中、
地中からこの多宝塔が出現して、
空中にボヨーンと浮遊。
「そいつの説法はマジだぜ!」と、
多宝塔の中から、
釈迦の説法を称賛したという仏様。
釈迦如来ウルトラマンなら、
多宝如来ゾフィー的な存在。






洗心の滝  大雄山を下りる






さてその不動明王の源流、
この洗心の滝にて、
心中「エア滝行」を行いましたら、
無料の宝物殿を見学した後に、
大雄山を下山しました。





第二番御朱印