元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

習志野在住紀尾井町勤務の千葉都民。神社仏閣・歴史散歩、カメラ、ロードバイクが趣味。ラーメン(二郎京成大久保店ホーム)・蕎麦が好物。

彦根城 (彦根城博物館・玄宮楽々園) 〜井伊直弼像〜

国宝・特別史跡
観覧時間 8:30〜17:00 
定休日 年中無休
522-0061 彦根市金亀町1-1
公式サイト http://www.hikoneshi.com/jp/castle/





国宝天守閣 → 松本城姫路城






京橋  ひこにゃんの立看板と登場予告




さてさてお次は彦根城
彦根城は中堀・内堀の間は、
クルマでずかずか侵入出来るようですが、
敢えて京橋口の市営駐車場に、
プリウスを駐車して、
傘を差して徒歩で登城しましょう。
全国区の超人気ゆるキャラ
ひこにゃんの登場スケジュールが、
そこいら中に貼られていました。
関東からの観光客の皆様、
これは「ひこにゃん」です。
くれぐれも「にゃんまげ」では、
ありませんからご注意を!!




旧西郷屋敷長屋門  土砂降りの内堀





さて京橋口から入りますと、
中堀・内堀の間の武家屋敷跡地は、
旧西郷屋敷長屋門が残るぐらいで、
県立彦根東高校や市立西中学、
津地裁彦根拘置所検察庁等、
多くの城跡・城址と同じように、
公共施設になっていました。
横殴りの雨と強風の中を、
びしゃびしゃになりながら歩きます。






表御門跡  表門券売所と彦根城博物館





表玄関であったであろう表御門跡から、
入城券を購入して参城致します。
券売所の正面には、
彦根城博物館がありますが、
とりま後回し。



登り石垣と山切岸  濁流




登り石垣の脇、山切岸沿いに、
濁流が横を流れる石段を登ります。




重文・天秤櫓




石段を登り見上げれば
重文の天秤櫓が聳えます。



大堀切  廊下橋




廊下橋をくぐり、
大堀切を進みます。
この廊下橋は戦時には、
切って落とす設計なんだとか。




重文・天秤櫓  天秤櫓内





ぐるりと回り込んで、
廊下橋を渡れば、
その天秤櫓です。
これをくぐって右に回ると、
内部を見学することが可能です。




時報鐘





さてこの天秤櫓と太鼓門櫓の間が太鼓丸。
ここに城下に時を知らせた時報鐘があります。
弘化元年(1844)、
十二代藩主・井伊直亮の頃の鋳造。




重文・太鼓門櫓  保存修理工事中の天守




重文・太鼓門櫓及び続櫓の先は本丸です。
国宝彦根城天守・附櫓及び多門櫓は、
保存修理工事の真っ只中。



国宝・彦根城天守  国宝彦根城天守、附櫓及び多門櫓保存修理工事




上手く角度を選べば、
足場を隠して撮影することも可能ですが、
これはこれで保存修理工事の光景も貴重です。




本丸跡から琵琶湖を望む





本丸跡から琵琶湖を望みます。
歴代藩主もこの琵琶湖を眺めたことでしょう。




重文・西の丸三重櫓  重文・西の丸三重櫓の案内




お楽しみは後回しで、
まずは本丸の北の西の丸にある、
重文・西の丸三重櫓を見学。



三重櫓内  三重櫓の柱の文字




三重櫓内に入りましてじっくりと見学。
柱に筆で書かれた文字がいくつかありますが。
これは築城当時のものなのか、
それとも補修時のものなんだろうか?




三重櫓最上階  三重櫓からの景色





西側の守りの要、
三重櫓最上階から観た琵琶湖。




国宝・彦根城天守 附櫓  国宝・彦根城天守 多門櫓




さていよいよ国宝、
彦根城天守・附櫓に多門櫓から入ります。
慶長十二年(1607)頃の築城。
昭和二十七年(1952)に国宝に指定されます。
これ以外の国宝の現存天守は、
姫路城、松本城犬山城松江城のみ。





火灯窓  鉄砲狭間、矢狭間





改修前の火灯窓が展示されていました。
鉄砲狭間、矢狭間を四方に備えています。




二層内  二層内部
二層から見た外部  二層から三層に上る




二層内、二層内部。
二層から見た外部の景色は、
補修工事の足場越し。
そして二層から三層へ。




三層内部  三層から琵琶湖を望む
最上層の天井  隠し部屋






最上階の三層内部、
三層からの琵琶湖の眺め。
最上層の天井の張り。
そして隠し部屋の出入り口。
国宝をじっくりと堪能いたしますた。





着見櫓跡から見えた二重の虹  着見櫓跡から天守を見る




天守から出ると、
ちょうど雨が上がっていて、
本丸の東に張り出した、
着見櫓跡から二重の虹が見えました。
そして振り返ると光の降り注ぐ天守







本丸から降りる




さて本丸跡から下りまして、
表御殿跡にある彦根城博物館に向かいます。




彦根城博物館  博物館入口



さて彦根城博物館は、
一部の展示を休室しており、
入場料も割引ちう。




表御殿能舞台



この表御殿能舞台は、
唯一現存する表御殿の建築物で、
寛政十二年(1800)の建立で、
博物館内からガラス張りで見学が可能。



陶磁器の展示  表御殿の復元入口




井伊家に伝わる陶磁器の展示を経て、
表御殿の復元建物入口へ。





御寝之室(藩主寝室)  天光室(藩主茶室)




御寝之室(藩主寝室)や、
天光室(藩主茶室)は、
すべて昭和六十二年(1987)復元です。




表御殿庭園  中庭




勿論、庭園や中庭も復元ですが、
庭園は古い時代の古絵図には記載がなく、
江戸時代後期に築かれたと想定されています。
元にあたっては、発掘調査を実施して、
池の規模などは判明したそうですが、
庭石は地下部分にもなく、
築山も掘削され整地し、
小山の大きさ等は不明でした。
そこで庭園が詳細に描かれている、
古絵図を参考にして、
庭石、築山を築いて、
復元し直したんだとか。




展示室  展示





どうやら赤備の鎧兜等は、
休室中の展示だったようで、
とても寂しく残念でした。
(´;ω;`)ウッ…





重文・馬屋  馬屋入口
馬屋内  馬屋の内部



さて先ほど、
中堀・内堀の間の武家屋敷跡地は、
旧西郷屋敷長屋門が残るぐらいで、
ほとんど現存する、
建築物はないと申しましたが、
表御門前には、
藩主らの馬がつながれていたという、
重文の馬屋が現存しています。
城内に馬屋が残るのは、
実はここだけなんだとか。





玄宮園入口  玄宮園の護岸調査・修理状況速報




彦根城の最後は、
もう閉館時間ギリギリですが、
下屋敷・槻御殿に伴う、
後園として作庭された、
大規模な池泉回遊式庭園の、
国名勝・玄宮楽々園。




玄宮園  玄宮園
玄宮園  玄宮園から仰ぎ見た天守




こちらは現在、槻御殿も含めて、
復元整備中の真っ只中の様子です。




遠城謙道碑  遠城謙道碑近景




さて玄宮園の東、
桜場駐車場に石碑と銅像がありました、
石碑は遠城謙道を顕彰するもののよう。
豪徳寺井伊直弼の墓を終生掃墓した、
彦根藩士の話は聞いておりましたが、
他にあまり資料もないので、
この案内板を写しておきます。

遠城謙道(おんじょうけんどう)




遠城謙道は、旧彦根藩士で通称遠城平右衛門
といい、文政6年(一八二三年)に彦根で生まれた。
15歳で鉄砲隊に入ったが、藩医「堀田道策」に
医術を学んだのを始め、儒学や画も学ぶなどし、
特に禅の修業を積んだことで武士の魂を磨いた。
桜田門外の変における、大老井伊直弼公の
横死の後、悲憤の余り主君の旧恩に報じようと
同志と謀り老中に抗弁するも、果たすことがで
きなかった。
追い腹は犬死と判断し、僧となりお墓守を勤
める決心をし、井伊家菩提寺の清涼寺「俊竜和尚」
の元で仏門に入り、名を「謙道」と改めた。
慶応元年(一八六五年)、妻と6人の子供を残
した謙道は、江戸における井伊家の菩提寺
豪徳寺(東京都世田谷区)に移り、直弼公の墓側
に庵を建て終生掃墓、読経をし、霊を慰めるこ
と実に37年に及んだ。「開国始末」の著書、島田
三郎氏は清節堅操優に、士人の典型また僧侶の
模範と謙道翁の至誠至忠が讃されている。


井伊直弼像  井伊直弼像





さて銅像は言わずと知れた、
安政ノ大獄を経て、
桜田門外ノ変で斃れた、
近江彦根藩第十五代藩主・井伊直弼




→ 井伊直弼 - Wikipedia





井伊直弼像  井伊文子歌碑





その銅像の傍らには、
直弼の孫の嫁に当たる、
井伊文子の歌碑があります。





一身に
責負ひまして、
立ちましし、
大老ありてこそ、
開港はなりぬ
      井伊文子




井伊直弼像





本当は直弼が青春時代を過ごした、
埋木舎も見学したかったんですが、
残念ながら閉館時間の時間切れ。
最終日に余裕があれば出直します。




ちなみに午後、
ひこにゃん登場は、
雨の為、お休みでした。
白だからねぇ、
クリーニング大変だろうし。
(;^_^A