西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

磐井神社

延喜式内社(小社)・郷社
祭神 応神天皇仲哀天皇神功皇后姫大神大己貴命
143-0016 大田区大森北2-20-8
公式サイト https://iwaijinja.tokyo





大森駅ホームの「日本考古学発祥の地」碑



午前中に大田区の法人二つとアポがあり、
「日本考古学発祥の地」碑のある、
JR大森駅に降り立ちました。



磐井神社




大森駅近くの法人とのアポを終えて、
第一京浜・国道15号を、
平和島方面に歩いていると、
延喜式内社」であるという、
磐井神社の前に出ました。




磐井神社の案内


敏達天皇二年(573)に、
創建されたと伝えられるこちら。
平安時代の歴史書
日本三代実録』には、
貞観元年(859)、
武蔵国従五位磐井神社官社に列す」
とあり、
武蔵国八幡社総社」
に、定めたとされています。
万葉集の、
「草陰の荒蘭の崎の笠島
見つつか君が山路越ゆらむ」
にある「笠島」とは、
万葉の時代の神社周成の地名であり、
境内摂社の笠島弁財天に、
その名ごりを見ることが出来ます。




拝殿と狛犬

向かって左の狛犬  向かって右の狛犬



阿吽が分かり辛い一対の狛犬ですが、
子持ちの狛犬は珍しくないものの、
左右に子獅子が三匹ずつ計六匹もいる、
子沢山なものはかなり珍しいです。




拝殿  拝殿の扁額


拝殿の扁額には、
由緒の通り、
「武蔵國八幡惣社
と、あります。
江戸時代には、
徳川将軍家の帰依を得て、
「鈴ヶ森八幡宮
とも、称されたとか。




本殿  江戸文人石碑群



本殿の右隣に江戸文人石碑群があり、
その石碑群と鈴石・烏石の案内があります。




鈴石・烏石と江戸文人石碑群の案内




鈴石・烏石ともに非公開で、
写真は拾い物ですが、
鈴石は、神功皇后が、
長門国豊浦の浜で見つけたもので、
香椎宮に納められましたが、
後に宇佐宮に移されて、
石川年足に授けられたとか。
年足の孫石川豊人が、
延暦年間(782〜806)に、
武蔵国守に任ぜられて、
こちらに奉納されたそうです。
この石を打つと、
鈴のような音がするそうで、
この付近の旧称である、
鈴ヶ森もこれに由来するとか。
烏石は鳥の形をした、
模様がある自然石で、
江戸時代の書家・松下烏石が、
寄進したものだそうです。




鈴石・烏石




境内の銀杏




境内には大きな銀杏の木があります。




磐井の井戸  磐井の井戸の案内





第一京浜国道の建設により、
神社前の歩道上に残された。
「磐井の井戸」は、
この神社の社名の由来。
今はもう飲めませんが。
東海道往来の旅人に利用され、
心正しければ清水になり、
邪心があれば塩水になったとか。






大森神社






さて、更に南に進むと、
今の地名である「大森」を冠した、
大森神社がありましたが、
こちらは天正年間(1573-1593)の、
創建と伝えられるものの、
明治元年に白川資訓王にらより、
大森神社の社号並びに額面を賜わり、
昭和七年(1932)に公称するようになったとか。
海辺だったこの辺りに、
ある時黄金色に輝く像が岸辺に流れ、
里人達は畏れて沖へ三度流しても、
元の場所に寄り来たるので、
ここに社を建ててその像を納め、
久久能智命を祀ったのが起源。
ですから明治までは、
寄来明神・寄来神社
と、称していたそうです。