西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

下総國 寒川神社

祭神 天照大御神寒川比古命・寒川比売命
260-0832 千葉市中央区寒川町1-123
公式サイト http://chiba-samukawa-jinja.or.jp/




makoto-jin-rei.hatenablog.jp





下総国寒川神社とPCX150  寒川神社の案内板




折角、千葉市中央区の、
寒川町にやって来たので、
やはり課題にしていた神社へ、
PCX150でお参りしました。
こちらは「下総國寒川神社」といいます。
このブログで度々書いておりますが、
神社の社格の一つに、
延喜式神明帳」に記載された、
延喜式内社」または「式内社」、
「式社」というものがあります。
延喜式神名帳」は、
延長五年(927)にまとめられた、
延喜式』の巻九・十のことで、
この当時「官社」に指定されていた、
日本全国の神社一覧なんデス。
しかし編纂から千年以上の時を経て、
社名や祭神・鎮座地などが変更されたり、
他の神社に合祀されてしまったり、
はたまた荒廃した後に復興されたりして、
同じ神社が複数になったり、
式内社の後裔が現在のどの神社なのか、
いろいろ分からなくなってしまいました。
そこでその式内社だと推定される神社のこと、
論社・比定社と呼びます。
さて「延喜式神明帳」の下総國の項では、
下記のように十一社が記載されています。

下總國十一座 大一座小十座
香取郡 一座 大 香取神宮 名神大 月次新嘗
千葉郡 二座 並小 寒川神社 蘇賀比咩神社
匝瑳郡 一座 小 老尾神社
印播郡 一座 小 麻賀多神社
結城郡 二座 小 高椅神社 健田神社
岡田郡 一座 小 桑原神社
葛飾郡 二座 並小 茂侶神社 意富比神社
相馬郡 一座 小 蛟蝄神社

この下総国一宮である香取神宮の、
次の「千葉郡寒川神社」が、
ここの寒川神社なのか、
それとも下記のリンクの二宮神社なのか、
二社が論社、比定社となり、
式内論になっているんです。






二宮神社 
その → 12345678910
11121314151617181920    
→ 「二宮神社」関連の記事 




chiba-samukawa-jinja.or.jp




二宮神社はこの件に関して、
「ウチが式内社寒川神社である!」
という一貫したスタンスで、
こちらの存在すらも、
意識していないような、
立場を崩しませんが、
こちらの寒川神社のホームページには、
その式社論数々の引用を用いて、
論文を掲載しています。
その点ではこちらの方が大人デスね。




境内  二の鳥居と拝殿  
拝殿の扁額  本殿



ワタシはこちらが元々、
主祭神天照大御神であり、
あくまで寒川神社という、
社号に定まったのが、
明治元年(1868)という点が、
どうもひっかかっています。
一方、二宮神社も、
寒川神社・寒川大神
と呼ばれていた根拠と、
時期とその期間があやふやです。
現在、二宮神社には、
寒川比古命寒川比女命の二柱が、
祀られていません。
ただ古来から二宮を称しながら、
他に神明の記載がないとすれば、
やはり"千葉郡寒川神社"が、
それであろうと、
消去法で推定しています。
あくまで個人的な見解デス。