「あい ─ 永遠に在り」(ハルキ文庫)

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あい―永遠に在り (時代小説文庫)

あい―永遠に在り (時代小説文庫)

  • 作者:高田 郁
  • 発売日: 2015/02/14
  • メディア: 文庫

上総の貧しい農村に生まれたあいは、糸紡ぎの上手な愛らしい少女だった。十八歳になったあいは、運命の糸に導かれるようにして、ひとりの男と結ばれる。男の名は、関寛斎。苦労の末に医師となった寛斎は、戊辰戦争で多くの命を救い、栄達を約束される。しかし、彼は立身出世には目もくれず、患者の為に医療の堤となって生きたいと願う。あいはそんな夫を誰よりもよく理解し、寄り添い、支え抜く。やがて二人は一大決心のもと北海道開拓の道へと踏み出すが…。幕末から明治へと激動の時代を生きた夫婦の生涯を通じて、愛すること、生きることの意味を問う感動の物語。



高田郁さんプチマイブーム、
到来ちうのワタクシ。
「出世花」、「みをつくし料理帖」、
「あきない世傳 金と銀」と、
既読の3シリーズは、
江戸期の架空の女性を主人公とした、
フィクションの時代小説ですが、
この「あい 永遠に在り」は、
実在の幕末明治の蘭方医関寛斎の、
妻・あい*1を主人公に、
夫妻の激動の人生を描いた作品。
関寛斎といえば現在の東金に当たる、
九十九里に近い上総の農家の出身で、
佐倉順天堂で佐藤泰然に師事した後、
銚子で開業した縁で、
濱口梧陵の支援を受けて、
長崎に遊学してポンぺに学ぶ姿は、
司馬遼太郎の、
胡蝶の夢」にも登場します。
司馬は、寛斎を、
「高貴な単純さ」
「神に近いほどに単純」
と、評していますが、
あくまで「胡蝶の夢」の中では、
主要人物ではありましたが、
主人公ではありませんでした。
寛斎は長崎遊学後一旦銚子に戻るも、
その後は徳島藩に出仕し典医となります。
藩主・蜂須賀斉裕の死を看取り、
戊辰戦争では官軍の、
奥羽出張病院長として活躍するも、
再び徳島に帰り士籍を返上して、
一町医者として尽力。
晩年の明治三十五年(1902)、
72歳にして北海道に渡り、
開拓事業に全財産を投入するも、
愛妻・あいの死後の、
大正元年(1912)に、
82歳にして服毒により自決する。
そんな略歴は歴史マニアとして、
ある程度の知識はありました。
ご本人も筆まめで弟子も沢山いたので、
寛斎にまつわる資料は沢山現存しますが、
あいに関するものは、
彼女が織った生地が少しと、
着物一枚、写真が数葉残るのみとか。
「婆はわしより偉かった」
と、いう寛斎の言葉から、
高田郁さんの想像により、
構築された物語がコチラになります。
立身出世には目もくれずに、
自らの志を貫き生きて敗れ、
自らの意思で亡くなった寛斎ですが、
この物語はその自決の前に、
あいの死をもって終わります。

「禍に直面しても挫けず、
物事の良い面を見つめて難事を乗り越えてしまうのだ」

この物語の上では、
あいの献身的な愛情により、
あいに支えされて生きた寛斎ですが、
残された言葉や、その死から、
それは間違いのない事実かと思います。
読み手であるワタシも、
知らぬ間にあいを、
理想の妻として想像してしまいます。
しかしそんなあいのような女性が、
貧しい日本には沢山いて、
幕末明治の混乱した世の中の男達を支えて、
今の日本を作ったのではないでしょうか。




「人たる本分は、眼前にあらずして、永遠にあり」




東金に残る史跡を見て歩きたいな。
佐倉順天堂も久しぶりに訪れたい。
胡蝶の夢」も我が蔵書にあるので、
数年ぶりに読み返してみようと思います。
関寛斎プチマイブーム到来の予感です。




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*1:アイ、愛子と称する資料もあり