製錦堂学校屋敷跡 (前之内 君塚家) ~東金・関寛斎ゆかりの地探訪ツーリング⑤~

283-0021 東金市前之内9











製錦堂学校屋敷跡の道標



関寛斎の養子先の関家であり、
養父・関素寿の私塾、
「製錦堂学校跡」ですが、
常覚寺にPCX150を停めたまま、
ぐるぐると歩いで探し回って、
ようやくこの道標を発見しました。



製錦堂学校屋敷跡(前之内君塚家)案内板  製錦堂学校屋敷跡 (前之内 君塚家) 



こちらは生家の吉井家とは異なり、
なぜか今は関家ではなく、
君塚家になっています。
書籍によって、
関寛斎の養父・関俊輔(素寿)が、
兄であったり弟であったりしますが、
あいの父である君塚兵左衛門は、
素寿と実の兄弟でした。
元々つながりの深かった両家ですから、
元の関家が今は君塚家になっていても、
何の不思議はありません。