「伊豆の踊子」(新潮文庫) & Prime Video「伊豆の踊子」(1963)

さて今日は小雨が降ったり止んだりで、
ランチはカッパを着たままで、
コンビニで簡単に済ませました。
てな訳でいつもの貯金ネタです。





港屋旅館
伊豆大島波浮港・旧港屋旅館内の展示)



【1泊3日伊豆大島2016】
→  東海汽船 さるびあ丸 (2代目)
→  愛らんどセンター 御神火温泉
→  三原山 〜三原神社〜
→  東京都立大島公園 〜海のふるさと村〜
→  伊豆大島 天然温泉の宿 ホテル白岩
→  東海汽船 高速ジェット船セブンアイランド大漁 その一



【0泊2日伊豆大島2021】
→  ①東海汽船 さるびあ丸 (三代目)
→  ②伊豆大島サイクリング
→  ③食事処 おともたち
→  ④伊豆大島 源泉掛け流しの宿 湯の宿 くるみや
→  ⑤東海汽船 高速ジェット船セブンアイランド大漁 その二





さて、5月3日(日)の、
伊豆大島一周サイクリングで、
あの川端康成の名作、
伊豆の踊子」の、
「薫」のモデルとなった、
旅芸人「たみ」達は、
普段は伊豆大島の、
波浮港に暮らしていて、
港屋旅館や甚の丸邸のお座敷にも、
お呼びがかかっていたと知りました。




こう見えて若かりし頃は、
"隠れ文学青年"だった私。
大概の日本文学の名作は、
一通り読んでおりますが、
伊豆の踊子」といえば、
世間知らずの若い書生と、
純真無垢な旅芸人の踊子との、
叶わぬ淡いラブストーリーという、
雑な印象しかありません。







青空文庫を調べてみても、
川端康成は来年の四月で、
死後50年となるので、
まだ著作権の保護期間である為に
収録作品はありません。






川端康成「伊豆の踊り子」




てな訳で、
ブログを加筆修正した5月5日(水)に、
丸善津田沼店で、

新潮文庫伊豆の踊子
昭和二十五年八月二十日 発行
平成十五年五月五日 百二十九刷改版
令和二年五月二十日 百五十三刷

を、購入しました。
しかしすげぇ~発行数だねぇ。。。






小説を読了後、続けざまに、
この昭和三十八年(1963) 製作の、
映画もAmazonPrimeで観ましたが、
時代的にとても難しい表現もあるので、
二つの感想に関しては、
「ブログには書けそうにない」と、
ツイートしましたが、
ちょっと頑張って書いてみようかと、
やっぱり思い直しました。
まずはオリジナルの小説から。




伊豆の踊子 (新潮文庫)

伊豆の踊子 (新潮文庫)

旧制高校生である主人公が孤独に悩み、伊豆へのひとり旅に出かける。途中、旅芸人の一団と出会い、そのなかの踊子に、心をひかれてゆく。清純無垢な踊子への想いをつのらせ、孤児意識の強い主人公の心がほぐれるさまは、清冽さが漂う美しい青春の一瞬……。ほかに『禽獣』など3編を収録。巻末の三島由紀夫による「解説」は、川端文学の主題と本質についてするどく論じている。


後のノーベル文学賞作家である、
川端康成の初期の代表作で、
19歳の時に伊豆を旅した、
実体験を元に描かれた作品。
物語の冒頭で「踊子」に惹かれて、
後を追いかけて追いついた「私」。
天城峠の茶屋の老婆の話によって、
当時、この旅芸人という職業が、
社会的に差別されていたことを表しています。
この老婆も「私」も「旅芸人」を、
「枕芸者」と誤解している風もありますが、
この時代はまだ芸能に係わる人々を、
蔑称で呼び差別していたのは歴史的事実です。




禁芸術売買之輩



ちなみに八千代市米本にある、
米本山・長福寺の門前には、
天保九年(1838)に建てられた、
「禁芸術売買之輩」
と、記された戒壇石があります。
この「芸術売買之輩」とは、
「旅芸人」や「大道芸」の人々を差します。



川端は後にこの作品の内容が創作ではなく、
ほとんど事実であることを認めながら、
登場人物の名前を変えているのは、
実在の人物への配慮とも思えますが、
大概の実体験を元にした小説でも、
人物名は変えるのは通常のことではあります。
しかし「踊子」の名前を、
「薫(かおる)」と設定しながらも、
「私」の視点で描かれた文中の表現は、
頑ななまでに「踊子」という呼称を貫きます。
しかしなんとモデルとなった、
「踊子」の兄の本名は、
「おほる」であり、
「踊子」の本名は「たみ」です。
また「かほる」とは旅の後も、
文通や年賀状のやりとりがあったとか。
私はこれを知った時に、
本当は伊豆の旅の実体験で、
川端が惹かれたのは「踊子」ではなく、
兄だったのではないかと疑いました。
私は若き日の川端文学には、
どうにもそんな匂いを感じます。




さて話を踊子に戻します。
この「踊子」である「薫」ですが、
この短い小説の中では「私」の視点で、
「踊子」とは相思相愛のようになっていますが、
果たして事実はどうでしょうか。
三島由紀夫はこの小説に対して
「処女の主題」がどうのこうのと、
やたら解説や書評に残していますが、
この「踊子」は確かに「生娘」ですが、
それ以前にまだ当時の14歳としても、
肉体的にも精神的にも、
全く未成熟であったのではないでしょうか。
そもそも幼少の頃から旅に出ていることが多く、
「私」に大島の話を聞かれても、
尋常小学校二年生当時の、
故郷の「甲府」の話が混同してしまいます。
鳥屋や「私」に「水戸黄門漫遊記」を、
読んでもらうことをせがむことから、
きちんと学校教育も受けておらず、
文盲に近い可能性もあります。
また本を読んでもらう際に、
「私」と顔と顔の距離を間違えたり、
風呂から全裸を晒して手を降るというのは、
相手を恋愛対象として見ていない表れです。
「私」と出会ってすぐに、
お茶を出す際に手が震えていたのは、
単なる人見知りであって、また、
お座敷の酔った男性客が恐ろしくて、
恐怖心が沁みついているのではないでしょうか。
四十女はそんな「虐待」を隠すために、
「この子は色気づいたんだよ」
と、誤魔化したのです。
もっとも「私」は「踊子」が、
まだまだ子供であることを知っても、
更にその思いが更に募るというのは、
現代でいえばロリータコンプレックスに違いなく、
三島の「処女の主題」の追求も、
あながち間違いではないでしょう。
それからこの物語では、
「私」は「孤児根性で歪んでいる」
と、しながらも、
その「内面の歪み」が、
「踊子」に対する感情の他には、
ほとんど表現されておりません。
また「一高」の書生という身分が、
いかに社会的立場が高いことを、
何度も自慢している風に見えます。
あ、それこそが、
「歪んでいる」ということなのか。



しかしながらこれらの今回の感想は、
前回若き日に読んだ時には、
何一つ感じなかったことばかりです。
当時はラストの別れでの、
「さよならを言おうとした」
「主語」がどちらのものかばかりが、
気になっておりましたが、
これは晩年の川端ですら、
迷っていたようですから、
どちらでもよい話なのかもしれません。




またとりとめのない与太話を綴りまして、
大変失礼致しました。





伊豆の踊子

伊豆の踊子

  • メディア: Prime Video

大正末期、作家川端康成の基点となった名作文学の映画化。伊豆を旅していた学生の水原(高橋英樹)は、旅芸人の一行と知り合い、道中をともにするように。中でも、一行の中の少女・薫(吉永小百合)の初々しさに、水原は惹かれていくのだが…。永遠のアイドル・吉永小百合が純情なヒロインを演じ、頭脳明晰で孤独な高校生役の主人公には人気絶頂期の高橋英樹が扮する絶品の文芸ドラマ。(C)1963日活株式会社

さて小説読了後に、
AmazonPrimeで続けて鑑賞したのは、
この昭和三十八年(1963) 製作の日活映画。
伊豆の踊子」は今までに、
全部で6回映画化されていますが、
歴代の踊子は、
田中絹代
美空ひばり
・鰐淵晴子
吉永小百合
・内藤洋子
山口百恵
と、錚々たる顔ぶれ。
文庫で40頁ほどの短編ですから、
いずれも原作にはない場面や、
登場人物が追加されています。
今回観たこの作品も、
宇野重吉演じる大学教授らしき、
老人の回想となっています。
この映画を製作当時まだ川端は存命で、
吉永小百合のファンだったようで、
わざわざ伊豆の撮影を見学して、
踊子姿の吉永小百合さんに、
「なつかしい親しみ」を感じたと、
周囲に漏らしています。
しかし若い頃大根役者だったという噂の、
高橋英樹さんですが、
噂通りに怖しいほどのダイコンでした。
孤児根性で歪んでいる「私」が。
とても爽やかに楽しそうで何よりでした。
この映画作品では、
「私」と「踊子」どちらが、
天真爛漫に見えるかと聞かれれば、
迷わず「私」に挙手致しますね。(笑)




山口百恵版は観てみたいなぁ。





てか「伊豆の踊子」って、
そもそも現住所は、
伊豆大島波浮港」*1で、
故郷は「甲府」なんでしょ??
そもそも「伊豆の踊子」というよりも、
「伊豆にいた踊子」か、
伊豆大島の踊子」だし、
波浮港も「踊子の里」ではないぢゃんか。
でも甲府市は「踊子の里」を、
観光資源には出来ないか。。。😅








*1:後に大島町から下田へ転出したという説もありますが、川端のインタビューでは踊子はこれが最後の巡業でこの後大島で小料理屋を開いたと答えています。