関寛斎・関あい姫 理葬の地 (関農場跡地) ~2泊5日 北海道ソロツーリング 三日目-⑥~

089-4300 足寄郡陸別町




→ 関寛斎像(東金) その一
→ 関寛斎像(陸別) その二
→ 関寛斎生家
→ 面足神社(関寛斎産土神社)
→ 安立山常覚寺(関寛斎養父素寿の碑と関家・君塚家墓)
→ 製錦堂学校屋敷跡(関寛斎養家跡)
→ 関寛斎資料館
→ 関寛翁辞世歌碑
→ 関神社跡
→ 関寛斎・関あい姫埋葬の地・関農場跡




→ 「あい―永遠に在り」(ハルキ文庫)
→ 「評伝 関寛斎1830-1912 極寒の地に一身を捧げた老医」
→ 「胡蝶の夢」【一〜四】(新潮社文庫)





→ 「関寛斎」関連の記事





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さて陸別関寛斎ゆかりの地探訪。
最後は関農場の跡と、
それを見下ろす場所に葬られたという、
関寛斎・あい夫妻の埋葬の地をお参りしましょう。





斗満川  斗満駅逓所跡



日本一寒いこの陸別町で、
寛斎が冬でも沐浴したという斗満川を渡り、
斗満駅逓所跡を左手に見て右折します。



関農場跡地
道案内  道案内の先は砂利



この辺りが関牧場だった場所でしょう。
関寛斎遺跡の道案内に従って進むと、
この先はクルマでもキツそうな荒れた砂利道。
四輪もほとんど通ることがないのか、
雑草もボーボーに茂っていて、
オフ車でもない二輪には、
かなり辛い道のりデス。



やちだもの家



荒れた砂利道の先少し開けた場所に、
このやちもだの家という小屋があり、
閂の丸太を自分で抜いて扉を開ければ、
「ご自由にごらん下さい」
なんだそうです。
丸太で手が真っ黒になったのはご愛敬。




やちだもの家内  やちだもの家内
やちだもの家内  やちだもの家内



この家の中にも関寛斎ゆかりの品が、
所狭しと展示されていました。



関寛斎遺跡ガイダンスマップ



やちもだの家の中に、
貼ってあったガイダンスマップをみて、
更に先にあるという埋葬の地を訪ねましょう。



関寛斎・関あい姫理葬の地への道  更に先へ進む



これ以上はバイクは無理か?
と、しばらく躊躇しましたが、
えーい、行っちゃえ。
PCXで更に先を目指します。




関農場跡 




まさにこの辺りが関農場跡の真ん中でしょう。




関寛斎・関あい姫理葬の地入口とPCX150
埋葬の地入口の碑・表  埋葬の地入口の碑・裏



いよいよ埋葬地の丘があるという、
入口の碑の脇に辿り着きました。
ここにPCX150を停めて、
階段状の参道を上がります。




関寛斎・関あい姫 理葬の地の参道




参道は手すりと段が整備されています。
ご夫妻それぞれの忌日には、
回向会が行われているそうですが、
埋葬の地は長年行方不明になっていたそうで、
平成十八年(2006)頃に、
顕彰会の方々が調べて、
土饅頭を発見して、
目印の杭を見つけたんだとか。




関寛斎・関あい姫 理葬の地  関寛斎・関あい姫 理葬の地
関寛斎・関あい姫 理葬の地  関寛斎・関あい姫理葬の地




これがその関寛斎・関あい姫の理葬の地です。
妻のあいさんが先に病気で亡くなり、
夫・寛斎が亡くなるまで、
火葬後遺骨として埋葬せずに、
保管するよう遺言し、
寛斎自決後に、
農場を見下ろす丘の上に、
夫婦揃って埋葬されました。
寛斎は下記の通り遺言したので、
土葬かもしれませんね。



我が身をば焼くな埋めむなそのままに
斗満の原の草木肥やせよ





関寛斎・関あい姫理葬の地から関農場を見下ろす



今は木々が繁り、
農場跡を見下ろす光景は見えませんが、
墓マニアの私がお参りした中でも、
最も素晴らしい夫婦墓でした。




関農場跡とPCX150



さて関寛斎夫妻ゆかりの地はこれにて終了。
阿寒湖温泉で風呂にでも入ってから、
今夜の宿のある帯広を目指しましょう。



陸別町関という地名




かなり離れた場所までも、
陸別町関という地名が続いておりました。



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