国指定史跡 仙台城跡
宮城縣護国神社
主祭神 国事殉難者
980-0863 仙台市青葉区川内1
宮城縣護国神社公式サイト https://gokokujinja.org/
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本来、瑞鳳殿から、
仙台城跡・青葉山公園は、
目と鼻の先ですぐ近くなんですが、
3月の地震で石垣が崩れ通行止めで、
ぐるりと大きく迂回しなければ、
本丸跡には行けません。
八木山と呼ばれている、
南西方向の山間より、
どうにか本丸跡にやって来ました。
ワタシのイメージでは、
仙台城は街中にある、
小高い丘の上という印象でしたが、
実際には広瀬川が削った、
断崖絶壁の上に建つ山城なんですね。
戦国遠からじ世の戦の為の城デス。
幕府に思い憚ったのかもしれませんが、
この城なら天守閣は必要ないデス。
仙台の街が箱庭のように望めます。
センダイという地名は、
鹿児島のセンダイが「川内」なんですが、
「仙台」も実は「川内」だったんですねぇ。
事前にエイコク堂さんから聞いておりましたが、
仙台のシンボル・伊達政宗公騎馬像が、
やはり3月の地震で傾き、
馬の脚も破損してしまったそうで、
修復中の為、幕に隠れて見えません。
ワタシのような観光客の為、
普段の写真を印刷した、
グラフィック幕で覆われていますが、
それなら幕を透明にすりゃいいんぢゃね⁉️
隙間から銅像を覗き込むと、
やや斜めに傾げた兜が見えました。
「仙台城本丸大広間跡遺構表示」で、
当時の本丸の規模を想像することが出来ます。
この建物はトイレではなく、
「仙台城見聞館」という資料館。
仙台城のジオラマ等が置かれています。
この昭忠碑は、
明治三十五年(1902)に、
仙台にあった第二師団の、
戦没者を慰霊する為に建立されましたが、
東日本大震災の前には、
この鵄像が台の上にあったそうで、
下に落下してしまったとか。
明治に軍事拠点になることが多かったので
城跡近くによくあることの多い護国神社ですが、
こちらにも宮城縣護国神社がありました。
別宮・浦安宮は、左宮が、
昭和四十二年(1967)に鎮斎された、
伊勢神宮の四座。
右宮が築城以前の屋敷神・白水稲荷大神と、
伊達政宗公を祀ったものです。
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