宗派 真言宗御室派
本尊 十一面千手千眼観世音菩薩
ご詠歌 まいるより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲
583-0024 藤井寺市藤井寺1丁目
公式サイト https://www.fujiidera-temple.or.jp
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さて、槇尾山から、
無事下界に戻りました。
時刻は午前11時40分、
次の札所は住宅地の中なので、
この河内長野の、
柿の葉すし本舗たなかに立ち寄り、
車の中で昼食に致します。
鯖、鯛、鮭と、
どれもとても美味しくて、
登山で疲れた身体が、
胃から癒されました。
さて、葛井寺門前の、
藤井寺のコインパーキングに、
車を停めたのは午後12時30分。
関西支社兼務の頃は、
この周辺を何度も訪れています。
葛井寺は七世紀前半、
百済からの渡来人・葛井氏の、
氏寺として創建されたました。
葛井氏の前身である白猪氏は、
朝廷から葛井連の姓を賜り、
大宝律令の作成に大きく関わり、
広大な土地を賜って、
その地に寺を建立したのがこちらとか。
その後、寺は荒廃しますが、
永長元年(1096)に藤井安基という人が、
伽藍の大修理に尽力したそうです。
藤井安基は元々はとても乱暴者で、
急死後に閻魔大王に地獄に落とされるも、
観音様に救われ蘇生したんだとか。
この葛井さんと藤井さんの二人から、
今も「葛井寺」「藤井寺」が混在するんですね。
この南大門(楼門)は入母屋造の楼門で、
寛政八年(1796)上棟、
寛政十二年(1800)竣工。
現在の西門が元の南大門でしたが、
こちらが出来た後に移築されました。
慶長六年(1601)豊臣秀頼の再建で、
重要文化財ですが写真を撮り忘れました。
大同元年(807)葛井連道依娘と、
平城天皇の間に生まれた、
阿保親王も中興に関わっていて、
その皇子である私が好きな在原業平が、
奥の院を造営したんだとか。
(奥の院は現存していません)
阿弥陀二十五菩薩堂は改修中ですが、
大師堂、専心龍乗観音菩薩立像、
弁天池・弁財天、
鐘楼堂、出世地蔵像等、
小さな境内に見所は多いです。
しかし室町時代には、
伽藍は東西二つの三重塔をもつ、
薬師寺式伽藍配置だったそうですが、
明応二年(1493)の戦火でに、
楼門、中門、三重塔、
鎮守社、奥の院を焼失。
永正七年(1510)の地震で、
更に堂塔を失って、
現存する建物は、
近世以降の再建になります。
てな訳で本堂は、
宝暦三年(1753)上棟、
安永五年(1776)の竣工。
ここで御朱印を頂戴しました。
国宝の十一面千手千眼観音菩薩は、
毎月18日のみのご開帳ですが、
私は以前、上野の東博で、
後ろ姿までじっくりと拝観致しました。
日本最初の千手観音とも言われていて、
文字通り千の手と千の目を持つ千手観音様です。
頭上は十一面で、
錫杖や宝輪、数珠などをもつ大手に、
1001本の小手と、
正面の合掌手で計1041本。
その特徴ばかり取り沙汰れる仏像ですが、
実はとてもお顔も美しいのです。
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