西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

【西国第五番】紫雲山 葛井寺

宗派 真言宗御室派
本尊 十一面千手千眼観世音菩薩
ご詠歌 まいるより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲
583-0024 藤井寺市藤井寺1丁目
公式サイト https://www.fujiidera-temple.or.jp




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柿の葉すし本舗たなか河内長野店とカローラツーリング  柿の葉すし
購入した柿の葉すし  購入した柿の葉すし


さて、槇尾山から、
無事下界に戻りました。
時刻は午前11時40分、
次の札所は住宅地の中なので、
この河内長野の、
柿の葉すし本舗たなかに立ち寄り、
車の中で昼食に致します。



さば
鯛
さけ



鯖、鯛、鮭と、
どれもとても美味しくて、
登山で疲れた身体が、
胃から癒されました。



門前のコインパーキングにカローラツーリングを停める



さて、葛井寺門前の、
藤井寺のコインパーキングに、
車を停めたのは午後12時30分。
関西支社兼務の頃は、
この周辺を何度も訪れています。



由緒書




葛井寺は七世紀前半、
百済からの渡来人・葛井氏の、
氏寺として創建されたました。
葛井氏の前身である白猪氏は、
朝廷から葛井連の姓を賜り、
大宝律令の作成に大きく関わり、
広大な土地を賜って、
その地に寺を建立したのがこちらとか。
その後、寺は荒廃しますが、
永長元年(1096)に藤井安基という人が、
伽藍の大修理に尽力したそうです。
藤井安基は元々はとても乱暴者で、
急死後に閻魔大王に地獄に落とされるも、
観音様に救われ蘇生したんだとか。
この葛井さんと藤井さんの二人から、
今も「葛井寺」「藤井寺」が混在するんですね。



南大門  
金剛力士吽形  金剛力士阿形




この南大門(楼門)は入母屋造の楼門で、
寛政八年(1796)上棟、
寛政十二年(1800)竣工。
現在の西門が元の南大門でしたが、
こちらが出来た後に移築されました。
慶長六年(1601)豊臣秀頼の再建で、
重要文化財ですが写真を撮り忘れました。




境内



大同元年(807)葛井連道依娘と、
平城天皇の間に生まれた、
阿保親王も中興に関わっていて、
その皇子である私が好きな在原業平が、
奥の院を造営したんだとか。
(奥の院は現存していません)




阿弥陀二十五菩薩堂(改修中)  大師堂
専心龍乗観音菩薩立像  弁財天
鐘楼堂  出世地蔵像




阿弥陀二十五菩薩堂は改修中ですが、
大師堂、専心龍乗観音菩薩立像、
弁天池・弁財天、
鐘楼堂、出世地蔵像等、
小さな境内に見所は多いです。
しかし室町時代には、
伽藍は東西二つの三重塔をもつ、
薬師寺式伽藍配置だったそうですが、
明応二年(1493)の戦火でに、
楼門、中門、三重塔、
鎮守社、奥の院を焼失。
永正七年(1510)の地震で、
更に堂塔を失って、
現存する建物は、
近世以降の再建になります。



本堂



てな訳で本堂は、
宝暦三年(1753)上棟、
安永五年(1776)の竣工。
ここで御朱印を頂戴しました。



第5番御朱印




葛井寺蔵 国宝・千手観音像坐像   葛井寺蔵 国宝・千手観音像坐像



国宝の十一面千手千眼観音菩薩は、
毎月18日のみのご開帳ですが、
私は以前、上野の東博で、
後ろ姿までじっくりと拝観致しました。
日本最初の千手観音とも言われていて、
文字通り千の手と千の目を持つ千手観音様です。
頭上は十一面で、
錫杖や宝輪、数珠などをもつ大手に、
1001本の小手と、
正面の合掌手で計1041本。
その特徴ばかり取り沙汰れる仏像ですが、
実はとてもお顔も美しいのです。






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