西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

【西国第六番】壷阪山 南法華寺 (壷阪寺)

宗派 真言宗 単立
本尊 十一面千手千眼観世音菩薩
ご詠歌 岩をたて 水をたたえて 壷阪の 庭の砂も 浄土なるらん
635-0102 高市郡高取町壷阪3
公式サイト https://www.tsubosaka1300.or.jp/




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壷阪寺駐車場のカローラツーリング  境内



さて、大阪府から、
奈良県内に入りまして、
奈良盆地と吉野を隔てる、
高取山の中腹にやって来ました。
壷阪寺の有料駐車場に午後1時40分到着。
小雨が降ったり止んだりしていますが、
傘が要らない程度です。
さて、第六番の壷阪山・南法華寺
この通称・壷阪寺は平安時代には、
京都の清水寺が北法華寺と呼ばれていて、
この南法華寺長谷寺ととも、
古くからとても栄えていたそうです。
清少納言の『枕草子』にも、
霊験の寺の筆頭に挙げられていて、
寛弘四年(1007)には、
藤原道長も宿泊をしています。
しかし嘉保三年(1096)の火災で、
伽藍のほとんどが灰燼に帰し、
その後、子嶋寺の真興上人が、
復興して一大道場となるも、
承元五年(1211)には大門、僧房が罹災。
戦国時代には戦乱に巻き込まれ、
残ったのは室町時代の礼堂と、
三重塔くらいだったんだとか。
慶長年間(1596-1615)には、
豊臣秀長の家臣で、
高取城主の本多俊政が、
伽藍復興に尽力します。



大講堂内



大講堂 は平成十二年(2000)の落慶で、
中央に鎌倉時代作の弘法大師を祀っています。



三十三観音の写し  壷阪霊験記資料コーナー




お馴染みの三十三観音の写しもここにあります。
そしてこの『壷阪霊験記』資料コーナー、
私はそんなお話は全く知りませんでしたが、
元バスガイドの母は、
「妻は夫をいたわりつ夫は妻に慕いつつ」
というくだりを覚えていたようです。
要するにこちらの昔話を題材に作られた、
浄瑠璃の演目だそうで、
お寺のリーフレットには。
こんなあらすじが書かれています。

壺坂霊験記

今より三百年以上昔、
座頭の沢市は三つ違いの女房
お里と貧しいながらも
仲睦まじく暮らしていた。
沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、
お里は内職というなんとも
つつましい暮らしであった。
そんな沢市の胸中に
ひとつ不安が生まれていた。
というのも明けの七つ(午前四時)になると、
お里が毎晩床を抜け出していたからだ。
「もしや好きな男か」と問いただすと、
お里は沢市の目の病が治るよう、
この三年もの間欠かさず壷阪寺の観音様に
朝詣でをしていると訴える。
疑った自分を恥じる沢市は
ともに観音様にお詣りすることにしたが、
心の中は盲目がゆえに
不遇な暮らしをしているのだと自分を責める。
そして、一度お里を家に帰して、
お里を自由な身にしてやろうと
自分の身を投げてしまうのだった。
不吉な予感であわてて戻るお里は、
非常な現実に遭遇し、
自らも身を投げてしまう。
しかし、二人のせつない夫婦愛が、
観音様の霊験により奇跡が起こり、
沢市・お里は助かり、
沢市の目が開眼した。
本堂横手には、そのお里、沢市が身を投げた、
投身の谷と言い伝えられている谷がある。

実は沢市の目は白内障で、
滝に飛び込んだ衝撃で治ったという説もあるとか。



寺務所前の猫




寺務所にあった掲示によると、
多くの猫たちが勝手に集まり、
そして旅立っていったとか。
犬小屋らしきゲージ上に、
こんなキジ白ちゃんがおりました。




仁王門下  仁王門



仁王門は建暦二年(1212)建立の、
入母屋造・本瓦葺。
平成十五年(2003)に解体修理され、
現在地に移築されたもの。



壷阪大仏と石仏群
石造千手観音坐像  石造千手観音坐像



天竺渡来・大釈迦如来石像の、
壺阪大仏は平成十九年(2007)開眼で、
身丈10m、台座5m。
その手前にも多くの新しい石仏群が並びます。
また信徒が奉納したと思われる、
石造十一面千手観音がいくつもありました。



多宝塔  



多宝塔は、平成十四年(2002)落慶
平安時代作の大日如来坐像を祀っているとか。



千手観音



灌頂堂も平成十七年(2005)落慶ですが、
慶長年間(1596-1615)に本多俊政が寄進した、
因幡堂の部材の大部分を、
用いて建立されたものだそうで、
室町時代作の十一面千手観音菩薩を中心に、
弘法大師空海、興教大師覚鑁
豊臣秀長、本多俊政を祀っていました。



大観音石像



歩道橋やトンネルでつながる。
道路を挟んだ南側に、
平成十一年(1999)安置の全長8mの、
天竺渡来・大涅槃石像や、
昭和五十八年(1983)安置の全長20mの、
天竺渡来・大観音石像があるそうですが、
そちらはスルーするつもりでしたが、
大観音がウルトラマンチックに姿を現しました。



慈眼堂  



慈眼堂も老朽化した、
阿弥陀堂と回廊の部材を用いたもので、
平成十八年(2006)落慶
インド人画家カーマット氏の、
「釈迦佛伝図」が描かれています。



三重塔  礼堂  




戦火を免れた三重塔と礼堂、
三重塔は重要文化財で、
明応六年(1497)の再建。
礼堂も同じく重要文化財で、
室町時代中期以前に再建されたものですが、
江戸時代に大改築されていた為、
昭和の大修理時に、
時代当時に復元されました。
さて礼堂の隣に納経所がありまして、
こちらで御朱印を頂戴しました。



第6番御朱印




礼堂入口  礼堂入口の不動明王



現在、本堂の八角円堂には、
この礼堂の側面入口より入ります。
入口にはこの不動明王立像が安置。
こちらも写真撮影がOKです。



礼堂から本堂である八角円堂を望む



礼堂から本堂・八角円堂を望みます。



本尊正面  本堂左手より



ご本尊は室町時代作の樫材寄木造、
木造十一面千手観音菩薩坐像。
優しさと厳しさを併せ持つようなお顔です。



八角円堂の回廊  八角円堂からの景色



八角円堂の回廊をぐるりと回り、
下界の絶景を眺めました。



八角円堂



確かに八角形をしていました。



旧慈母園




昭和三十六年(1961)には、
日本で最初の養護盲老人ホーム
この「慈母園」が建てられたそうで、
「盲老人ホーム発祥の地碑」がありました。




入山受付にいた猫




入山時にはいませんでしたが、
入山受付のカウンターに、
頬に怪我をした茶白くんが寝ておりました。
早く怪我が治るといいね。
観音様お願い致します。




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