宗派 真言宗豊山派 総本山
本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 いくたびも 参る心は はつせ寺 山も誓いも 深き谷川
633-0112 桜井市初瀬731-1
公式サイト https://www.hasedera.or.jp/
【前の記事】
⇩ ⇩ ⇩
さて、午後3時40分、
第八番の長谷寺の駐車場に到着しました。
参道の子院・普門院に、
いきなり重要文化財の、
木造不動明王坐像があるあたり、
やはり長谷寺はビッグネームの巨刹です。
現在は真言宗豊山派の総本山となっていますが、
それは天正十六年(1588)に根来寺を追われて、
入山した専誉僧正によるものですが、
平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺で、
それ以前は東大寺(華厳宗)の末寺でした。
寺伝によれば朱鳥元年(686)に道明が開山し、
この初瀬山の西の丘(元長谷寺)に三重塔を建立。
続いて神亀四年(727)になって、
西国三十三ヶ所の開基でもある徳道が、
聖武天皇の勅命により東の丘(現本堂の地)に、
本尊十一面観音像を祀ったといわれています。
西国巡礼の第一番であったという伝承もあります。
長谷寺の総門である仁王門は、
三間一戸入母屋造本瓦葺の楼門で、
両脇には阿吽の仁王像、
楼上に釈迦三尊十六羅漢像を安置します。
明治二十二年(1889)の再建ですが、
重要文化財で、
「長谷寺」額字は後陽成天皇の御宸筆。
登廊は重要文化財で、
長歴三年(1039)に、
春日大社の社司中臣信清が、
子の病気平癒の御礼に造ったもので、
百八間、三九九段、上中下の、
三廊に分かれています。
下、中廊は明治二十二年(1889)再建。
登廊を上りながら、
左右に清浄院跡の、
長谷寺六坊・宗寶蔵や、
清浄院跡を眺めます。
この杉は天狗杉。
『まんが日本昔ばなし』にもなったので、
そのあらすじを載せておきます。
昔、奈良の山奥に大層古い寺があった。寺の周りの沢山の杉の木には、たちの悪い天狗たちが住んでいて、夜な夜な回廊の燈篭を壊したり、回廊を油まみれにしていた。
ある日のこと、芙岳という小僧が「寺の杉を全部伐り倒せば、天狗たちの住む場所はなくなるだけでなく、寺の修理の木材も手に入るでしょう」と提案したが、和尚からは「勉強もろくにしないで、なんてことを言うんじゃ。」と怒られてしまった。
元々、勉強嫌いの芙岳だったが、天狗たちの冷やかしや仲間たちの誘いにも耳を貸さず、来る日も来る日も一心不乱に勉強した。長い年月が流れ、六十六歳になった芙岳は本当に大僧正になった。
芙岳は、全国から木こりたちを集めて、寺の増築の為、杉の伐採を命じた。天狗たちは芙岳が実行に移したものだから、大慌てするばかりだった。天狗たちは彼の許に来て、悪戯のことを詫び、伐採をやめてほしいと哀願したが、芙岳は聞き入れなかった。
杉の木は次々と伐られていき、沢山あった杉の木は残すところ一本となった。逃げ場を失った天狗たちはただ泣くばかりだった。木こりが最後の杉の木を伐ろうとした時、芙岳が止めた。
芙岳は「考えて見れば天狗たちのおかげで勉強が好きになったのだ。いわばわしの恩人だ。一本くらい残してもいいだろう」と言った。この時の杉の木は、天狗杉と呼ばれるようになった。寺の増築が終わってからは、天狗たちは芙岳の許を訪れては学問を教わった。
人間、何がきっかけでやる気を起こすかもしれない、ということだ。
下登廊と中登廊の間にある蔵王堂も、
登廊5棟として重要文化財の一部です。
もちろん蔵王権現が祀られています。
更に登廊を進み本堂の前に出ました。
登廊の最後はこの鐘楼に接続しています。
しかしこれは重要文化財の登録は別のようです。
さて、国宝の本堂です。
慶安三年(1650)に、
徳川家光による造営された大殿堂。
高さ10mを越す本尊を納める正堂と、
本尊を拝する礼堂が、
屋根でつながった入母屋造。
山の斜面に建てられていて、
その大きさを懸造りにより支えています。
前方に張り出す舞台から、
眺める下界の美しさ。
なぜか懐かしさを感じます。
逆に舞台から本堂を眺めると、
ご本尊のご尊顔を拝せます。
本堂内は撮影禁止ですが、
ここからの撮影は問題ないでしょう。
さて、重要文化財のご本尊。
本尊十一面観世音菩薩立像、
現在の御尊像は、
天文七年(1538)造立で像高1,018cm
右手に錫杖、左手に水瓶を持って、
方形の大磐石という台座に立つ、
いわゆる長谷寺式十一面観世音菩薩。
鎌倉の長谷寺ではこの二寺のご本尊は、
この大和の長谷寺の開基・徳道が、
大和国の山中で見つけた楠の大木から、
二体の十一面観音を造り、
その一体が大和長谷寺の観音像となり、
もう一体を祈請の上で海に流して、
15年後に三浦半島に流れ着いた観音像を、
鎌倉に安置したとされていますが、
こちらの長谷寺では、
全くその伝承を取り扱いません。
なんらかの大人の事情というやつでしょうか。
いずれにしても二寺ともに、
ご本尊は室町時代の作と推定されていて、
その頃のご本尊は現存していません。
⇩ ⇩ ⇩
【次の記事】