西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

【西国第十番】明星山 三室戸寺 

宗派 本山修験宗
本尊 千手観世音菩薩
ご詠歌 夜もすがら月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波
611-0013 宇治市莵道滋賀谷2
公式サイト https://www.mimurotoji.com/



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三室戸寺駐車場のカローラツーリング



さて、奈良パークホテルを出て、
車は京都の南東の宇治を目指します、
午前9時少し前に第十番・三室戸寺の、
有料駐車場に到着しました。




三室戸寺  山門



さて、三室戸寺は、
本山修験宗の別格本山の寺院。
寺伝によると宝亀元年(770)、
光仁天皇の勅願により、
南都大安寺の行表が創建したそうで、
天智天皇の孫で、
後に光仁天皇となる白壁王が、
毎夜宮中に達する、
金色の霊光の正体を知りたいと、
藤原犬養という右少弁(右少史)に命じて、
その光の元を探させます。
藤原犬養がその光を探して、
宇治川の支流志津川の上流へたどり着くと、
滝壺に身の丈二丈の千手観音像を見て、
犬養が滝壺へ飛び込むと、
一枚の蓮弁が流れてきて、
それが一尺二寸の二臂の、
観音像に変わりました。
光仁天皇がその観音像を安置して、
行表が開山したのがこの寺の起こりで、
当初は御室戸寺と称したそうです。
その後、桓武天皇が二丈の観音像を造立し、
その胎内に先の観音像を納めたそうで、
ここまでは伝承的なお話ですが、
西国三十三所巡礼に関する最古の史料、
園城寺(三井寺)『寺門高僧記』所収の、
行尊の三十三所巡礼記では、
十一世紀末頃に行尊が三十三所を巡礼した時は、
御室戸寺は三十三番目の最後の札所だったとか。
寛平年間(889-898)には、
その三井寺円珍が留錫し、
その後に花山法皇離宮を設けて、
西国三十三ヶ所の第十番札所となったようです。



三室戸寺庭園の案内  三室戸寺庭園


三室戸寺庭園は広大な敷地に、
ツツジ・20000本、
シャクナゲ・1000本、
アジサイ・10000本がありますが、
いずれも花の時季ではないので、
入口が閉鎖されていました。



石段下  石段を昇る


石段を上り、
本堂前に出ましょう。
関係者車両であれば、
左の庫裡の脇から、
車で上がれるようですが、
本堂前の扉は閉ざされていて、
入山受付には車椅子での参拝は、
難しいという旨が書かれていました。



境内



さて、本堂手前に着きました。



不動水  宇賀神



本堂前には霊泉・不動水という手水舎?と、
宇賀神の石像があります。



本堂



本堂は文化十一年(1814)再建の入母屋造。
ご本尊は秘仏の千手観音立像です。
こちらで御朱印を頂戴しました。



第10番御朱印




蓮の花  萩の花



花の寺と呼ばれている通り、
蓮の花と咲き始めの萩が綺麗でした。



阿弥陀堂  


この阿弥陀堂は元々ここに、
親鸞の父、日野有範の墓があり、
親鸞の娘の覚信尼が、
祖父有範の墓を整備して、
その上にお堂を建てたもの。


浮船之古跡



源氏物語の宇治十帖に登場する浮舟を祀る
「浮舟の碑」と刻まれた浮舟古跡もあります。



鐘楼  三重塔



鐘楼は吹き流し形式。
三重塔は元禄十七年(1704)建立の、
全高16mですが、
元は兵庫県高蔵寺にあったものを、
明治四十三年(1910)に買い取ったものとか。




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