西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

【西国第十一番】醍醐山 醍醐寺 (深雪山 上醍醐 准胝堂)

宗派 真言宗醍醐派 総本山
本尊 准胝観世音菩薩
ご詠歌 逆縁も もらさで救う 願なれば 准胝堂は たのもしきかな
601-1325 京都市伏見区醍醐東大路町22
公式サイト https://www.daigoji.or.jp




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醍醐寺駐車場のカローラツーリング  醍醐寺入口



さて、第十番の三室戸寺から、
第十一番の醍醐寺に辿り着いたのは、
午前10時前でした。
真言宗醍醐派の総本山のこちら。
豊臣秀吉の醍醐の花見はこちらで行われました。
実際に訪問するのはおそらく初めてですが、
その寺宝の数々とは東京でお逢いしています。








貞観十六年(874)弘法大師空海の孫弟子、
理源大師聖宝が准胝観音如意輪観音を、
笠取山頂上に開山し笠取山頂付近を、
醍醐山と命名します。
貞観十八年(876)には、
准胝堂と如意輪堂が建立されます。
醍醐寺は醍醐山頂上一帯の上醍醐を中心に、
多くの修験者の霊場として発展していきます。
後に醍醐天皇醍醐寺を自らの祈願寺とし、
延喜七年(907)には薬師堂が、
延長四年(926)には釈迦堂(金堂)が建立され、
醍醐山麓下醍醐が成立します。
しかしその後、応仁の乱等で、
下醍醐は荒廃して五重塔のみになりますが、
豊臣秀吉が花見の場所と定めてからは、
秀吉により伽藍が復興されて、
慶長三年(1598)には、
醍醐の花見が盛大に行われました。
秀吉の死後も秀頼によって、
伽藍の整備が行われ、
慶長五年(1600)には金堂の移築。
慶長十年(1605)には西大門の再建、
慶長十一年(1606)には、
如意輪堂、開山堂等と、
次々と再建が行われます。
西国第十一番札所の准胝堂は、
上醍醐にありましたが、
昭和十四年(1939)の山火事で焼失。
昭和四十三年(1968)に再建されるも、
平成二十年(2008)の落雷火災で全焼。
現在、下醍醐観音堂に仮に移されています。
と、いう訳で、
今回は上醍醐には伺いませんが、
准胝堂が再建されたら、
改めて伺いたく思っております。





桜馬場  三宝院



駐車場から桜馬場という道を進み、
三宝院という本坊的な存在の建物に出ました。
こちらで拝観チケットを購入しますが、
こちらの拝観は後にして参道を、
東方向の伽藍エリアに進みます。
ちなみにこの下醍醐は、
駐車場近くの南東側を霊宝館エリア、
北西側を三宝院エリア、
東側を伽藍エリアと分類しています。



唐門  



国宝の唐門はまた改めて伺いますが、
いろいろ不明な伝承が多く、
本来は何のために、
いつどこに作られたものか、
わからないという不思議な門。



西大門(仁王門)
金剛力士  金剛力士



西大門(仁王門)は、
慶長十年(1605)の再建。
阿吽の仁王像は重文で、
元は南大門に祀られていたそうです。
長承三年(1134)の造立。



伽藍エリアの参道



伽藍エリアの参道を進みます。



現在の醍醐の杜



参道の左右に、
樹木が薙ぎ倒されたような、
空間が広がっていました。



平成三十年(2018)台風21号の被害  平成三十年(2018)台風21号の被害


平成三十年(2018)台風21号の被害だそうです。
あの時、私はちょうど関西にいて、
琵琶湖一周サイクリングをしていた時か。





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金堂



国宝の金堂は入母屋造本瓦葺き。
平安時代後期に紀伊に建立されたものを、
豊臣秀吉が移築を思いつき、
慶長三年(1598)に移築を開始し、
秀吉没後の秀頼の代の、
慶長五年(1600)の落慶です。
焼失前の本堂は釈迦堂だったようですが、
現在の本尊は重文の薬師如来坐像で、
日光菩薩月光菩薩と、
四天王像を安置していました。




不動堂



この不動堂は護摩道場のようです。



祖師堂  祖師堂内



祖師堂は慶長十年(1605)の建立。
向かって右に弘法大師空海
左に理源大師聖宝を祀っていました。



日月門



日月門をくぐると、
観音堂はすぐ先になります。



観音堂正面  観音堂入口



この旧・大講堂の、
観音堂を中心に総称して、
大伝法院と呼ぶそうです。
昭和五年(1930)の建立。
入り口は向かって左後ろにあります。
本来の本尊は、
丈六の阿弥陀如来坐像ですが、
現在は焼失した上醍醐・准胝堂の、
西国三十三所札所が、
仮に移されているので、
観音堂と改称されていて、
堂内に納経所があります。
こちらで御朱印を頂戴しましたが、
受付の女性が神奈川出身の方だそうで、
しばらく関東の話で花が咲きました。




第11番御朱印




観音堂右隣の庭園



観音堂の東は、
林泉及び弁天堂で、
美しい風景が広がります。




国宝醍醐寺五重塔の案内



さて、国宝の五重塔




五重塔  五重塔



天暦五年(951)建立。
総高は38mですが相輪部が12.8mで、
全体の3割以上を占めています。
しかし、とても美しい塔です。



清瀧宮



清瀧宮本殿は重要文化財で、
永長二年(1097)上醍醐より分祀して創建。
文明年間の兵火で焼失しますが、
永正十四年(1517)に再建されたものです。



大玄関  表書院




さて、三宝院に戻り入場しました。




三宝院庭園  三宝院の中から見た唐門



歴代座主が居住する建物で、
永久三年(1115)に、
第14世座主・勝覚僧正により、
金堂のすぐ西側に創建しますが、
後に現在地に復興されています。
唐門と表書院は国宝で、
庭園は特別史跡および特別名勝になります。




霊宝館入口  醍醐寺霊宝館仏像棟公開中のポスター
醍醐寺霊宝館仏像棟




最後は霊宝館エリアです。
入館無料の仏像棟で、
たくさんの仏像とお逢いしました。
いずれもどこかでお逢いしたことのある、
有名な仏像ばかりでした。




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