日本百観音順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

渡岸寺 観音堂 (慈雲山 向源寺 飛地境内) その二

宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
529-0233 長浜市高月町渡岸寺50




渡岸寺 観音堂 (慈雲山 向源寺 飛地境内) → その一
→ 私の好きな仏像
→ 特別展「仏像〜一木にこめられた祈り〜」東京国立博物館 その四
→ 「向源寺」関連の記事



【前の記事】

⇩ ⇩ ⇩




高月観音の里歴史民俗資料館駐車場のカローラツーリング



さて、本日の最後の訪問は、
近江八幡市観音正寺
午後2時40分に出まして、
午後3時50分に長浜の、
渡岸寺観音堂にやって来ました。
車は高月観音の里歴史民俗資料館の、
駐車場に駐車します。
実は七年前の訪問時に、
コチラで十一面観音菩薩立像の、
ポスターを二枚購入して、
母にお土産であげたところ、
大変気に入ってしまったようで、
是非とも直接お参りしたいと、
要望されていた次第です。



渡岸寺観音堂  仁王門
吽形金剛力士像  阿形金剛力士像



渡岸寺観音堂
(慈雲山向源寺飛地境内)
と、いうなんとも複雑な名称。
七年前にも説明致しましたが、
再びその自分の文章をコピペします。
天平八年(736)、
都に疱瘡が流行した際に、
聖武天皇が泰澄に祈祷を命じ、
泰澄は十一面観世音を彫って、
光眼寺を建立します。
延暦九年(790)、
最澄が七堂伽藍を建立しました。
しかし元亀元年(1570)、
浅井・織田の戦火のために堂宇は焼失。
十一面観音を篤く信仰する、
当時の住職・巧円や近隣の信徒は、
観音様を土中に埋蔵して難を逃れたとか。
この後、巧円は浄土真宗に改宗し、
光眼寺を廃寺として向源寺を建立。
明治三十年(1897)、
十一面観音像は(旧)国宝に指定されます。
しかし浄土真宗阿弥陀如来以外の仏像を、
本堂に祀ることを認めていない為、
向源寺飛地境内の、
観音堂に祀るということで、
本山・東本願寺から許可を受けて、
大正十四年(1925)観音堂が再建。
昭和十七年(1942)、
宗教団体法の規定に基づき、
向源寺飛地境内観音堂は、
正式に向源寺の所属となりました。
そして昭和二十八年(1953)に、
十一面観世音は文化財保護法に基づく、
(新)国宝に指定されます。
昭和四十九年(1974)、
慈雲閣(収蔵庫)が完成してからは、
国宝・十一面観音像と、
胎蔵大日如来坐像はそこに移され、
高月町国宝維持保存協賛会の理事が、
毎日交替で維持管理に当たっています。



境内  観音堂



さて、三度目の拝謁。
七年ぶりの再会。
母は初めてのお参りです。



向源寺(渡岸寺観音堂)十一面観音菩薩立像  向源寺(渡岸寺観音堂)十一面観音菩薩立像
向源寺(渡岸寺観音堂)十一面観世音菩薩  暴悪大笑面



またしばらく口をあけて、
呆然と立ちすくんだワタシです。



A4写真を5枚購入  購入した5枚のA4写真   



前回はポスター二枚と、
写真集を購入しましたが、
今回はA4写真を5枚購入しました。
これまた家宝に致します。



高月観音の里歴史民俗資料館



閉館時間寸前の、
「高月観音の里
歴史民俗資料館」も見学しましたが、
残念ながら写真撮影禁止です。


⇩ ⇩ ⇩
【次の記事】